桜花彩麗伝

 そんなことを思いつつ、春蘭は口を開く。

「さ、中に入って。暑いでしょ?」

 初夏を少し過ぎ、太陽もだんだんと容赦がなくなってきた頃だ。
 風は日に日に夏の色を濃くしていく。そんな空気をそっと吸い込んだ。

「……話があるの」



 殿内で円卓を囲んで座ると、芙蓉が三人分の冷茶を出した。
 春蘭がそばに控えていた橙華に目配せをして人払いを命ずると、彼女たちと部屋の前に控えていた女官や内官がそれぞれ下がっていく。

「んで、話って?」

 人の気配がなくなったことを確認した櫂秦は、ずずず、と冷茶を(すす)りながら尋ねた。

「柊州の件、覚えてるわよね」

 春蘭の言葉に紫苑が目を(しばたた)かせる。

「……というと、紅蓮教や疫病蔓延(えきびょうまんえん)の件ですか?」

「俺と紫苑で百馨湯の配給に行ったよな。何つったっけ、あいつ……蕭容燕の息子」

「蕭榮瑶、殿」

「そうそう、榮瑶。そいつに託した百馨湯、ちゃんと行き渡ったかな」

 “急がなくていいから堅実(けんじつ)に”と言って託したが、さすがにふた月も経てば患者に行き届いていると見てもよいだろうか。
 桜州で疫病の話を聞かないということは、終息を期待してもよいのかもしれない。

「……それで、お嬢さま。本題は何です?」

「あのね……。わたし、柊州へ行こうと思う」

 戸惑ったように紫苑が瞠目(どうもく)し、櫂秦は「え?」と聞き返した。

 柊州の話題が出た時点で、そこに蔓延(はびこ)る問題に意識が向いていることに察しはついていたが、直接出向こうとするとは思わなかった。
 (いな)、それどころではないだろう。宮殿ですべきことがあるはずだ。
 ただでさえ不安定な立場にいるのに、自身の足場を固める前に、無関係な問題に首を突っ込んでいる場合ではない。
 櫂秦は眉を寄せた。

「何で? やっと宮殿に入れたとこだろ。もう出てくの?」

「ううん、一時的に“静養(せいよう)”って形で離宮(りきゅう)に行くのよ。いい機会だと思わない? 雪花商団や州民を救うにも、蕭家の悪事を暴くにも」

 春蘭は毅然と答えた。
 恐れも迷いもないまっすぐな眼差しに捕まった紫苑は、ああ、と思った。
 こうなったらもう、意志を曲げさせることはできない。
 しかし、本当にそれでよいのだろうか?

「……ほんと、お人好しだよなぁ。確かに俺たちの家はやばいけど、おまえには関係ねぇのに。州民なんて、もっとな」
< 362 / 400 >

この作品をシェア

pagetop