桜花彩麗伝



 急ぎ足で外へ出ると、芝生の広がる禁苑(きんえん)の中央に絨毯(じゅうたん)のような真紅の絹が敷かれていた。
 その上に刺繍入りの豪勢(ごうせい)な座布団が置かれ、傍らに煌凌が立っている。
 ほかに清羽と菫礼の姿もあった。
 正装の彼は、普段より凛々しく(いか)めしいように見えた。黙っていればいかにも王らしい。

 大きな壺に生けられた花々は華麗に咲き誇り、甘やかな香りが漂う。
 その花香(はなか)に導かれるように、春蘭は煌凌のもとへと歩み寄った。

「これ、いつの間に? その格好は……」

「庭はさっき飾り立てたのだ。そなたの任命式をとり行うために。この格好もそれゆえだ」

 すっかり失念していたが、春蘭はまだ正式に後宮入りしたわけではなかった。
 任命書を受け取り、やっと冊封(さくほう)されたことになる。

「小規模な式ですまぬ。何分(なにぶん)、いまは目立たぬに越したことはないゆえ……。しかし、任命書だけは必ず余の手で渡したかったのだ」

 煌凌は巻子(かんす)を掲げながら言った。
 たとえ偽の婚姻であろうと、春蘭のことは大切にしたい。
 その気持ちは確固たるものであるが、もうひとつ理由があった。

 無事、春蘭の手に任命書が渡り、正式な側室と認められるまで、目を離すわけにいかないのである。
 隙あらば害さんと動く太后や容燕の手から、まず守りきらなければならない。
 後宮入りは取っかかりに過ぎなかった。それをふいにするわけにいかない。
 太后らの邪魔が入る前に、煌凌が完結させるつもりでここへ来たのであった。

 誰を側室にするか、ということについては、王も太后も決定権を持っている。
 しかし、たとえ王自身が任命書をしたためたとしても、その宣旨(せんじ)を渡す役割は後宮の(おさ)である太后が担うのが通例である。
 本来は淑徳殿でそういった任命式が行われるが、こたびは例外尽くしだった。
 太后になど安心して任命書を預けられないため、通例に(のっと)っている場合ではないのだ。

「婕妤さま、こちらへ」

 王の傍らにいた清羽に促された春蘭はそれに従い、座布団の上にそっと腰を下ろす。
 彼は終始にこにことしていた。
 煌凌を何ごとかに対してここまで意欲的にしたのは、春蘭が初めてなのである。

 意思を持つことも許されず、川を漂い流れている落ち葉のように生きてきた煌凌────。
 清羽は幼い頃からそばで見てきたが、いつも、何もかもを諦めたような目をしていた。
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