桜花彩麗伝

 玉座に黙って座っていることだけが存在意義であり、しかし、それは別に煌凌でなくともよい。
 幼いうちからそのことを、誰より理解していた。

 生きるためには心を押し殺し、望まぬ王位に就き続けるしかなかった。
 孤独を()いられても、傀儡(かいらい)となるほかに道はなかった。
 そんな中で唯一見つけた“希望の光”は、淡い初恋は、否応(いやおう)なく早々に(つい)えたが、消えた蝋燭(ろうそく)に再び灯りを灯してくれた春蘭には、清羽も感謝していた。

 正面に立つ王が静かに巻子(かんす)を開くと、春蘭は(うやうや)しく(こうべ)を垂れる。

「鳳春蘭。本日、余はそなたを正三品・婕妤に任ずる。(つつし)んでこれを受けよ」

 差し出された詔書(しょうしょ)を見つめ、それから煌凌を見上げた。
 鼓動の高鳴りを自覚する。
 これは、新たな戦いへの第一歩────。
 恐らく、これまで以上に過酷で険しい道のりを歩むことになる。命と家門を賭けることとなるであろう。

 華やかな宮中の闇は深い。
 私欲のために裏切りが横行(おうこう)し、いつだってすぐそばに死の気配が潜んでいる。
 ────それでも。

恐悦至極(きょうえつしごく)に存じます」

 春蘭は覚悟を決めたように詔書を受け取った。
 緊張感と高揚感が胸の内に広がっていた。

 ここへ、平穏を求めにきたのではない。王の寵愛(ちょうあい)を受けにきたのではない。
 ただ美しく着飾り、大勢にかしずかれ、王を慰めるためだけに側室となったわけではないのだ。
 それが目的ならば、春蘭である必要もない。

 守られてばかりはいられない。
 使命を果たすときがきた。

 ────謹厳(きんげん)な様子で黙し、力強くふたりを見守る紫苑。
 櫂秦は結んだ唇の端をわずかに持ち上げていた。
 清羽と菫礼はどこか安心したような表情で互いに顔を見合わせる。
 これでもう、王が孤独に(さいな)まれることもないだろう。

「…………」

 向けられた煌凌の眼差しを黙って受け止める。
 様々な感情が溶けて混ざり合ったような、複雑な色をしている。

 何より恐ろしいのであろう。
 容燕に立ち向かうなど、これまでは夢のまた夢でしかなかった。
 しかし、彼の双眸(そうぼう)に滲むのは以前のような(かげ)りばかりではなかった。
 決意と希望の光が射し込んでいる。

(……大丈夫。わたしも一緒に戦う)

 春蘭はそんな思いを込め、強く頷いて見せた。



     ◇



 ささやかな任命式を終え、春蘭と煌凌は桜花殿で茶を飲み交わしていた。
 その用意を終えた芙蓉が下がると、春蘭はさっそく口火を切る。

「煌凌、大事な話があるの」

 どこか身構えたように彼が首を傾げた。

「しばらくの間、柊州の離宮へ行きたいの」

「なに?」

 思わぬ申し出に困惑する。突然、何を言い出すのだろう。

「柊州の疫病(えきびょう)のことは知ってる?」

「う、うむ……。薬材が足りぬようだな」

 そのことは一応、容燕に隠れて盗み見た上奏文(じょうそうぶん)により把握していた。
 仔細(しさい)までは掴みきれていないが、疫病の蔓延(まんえん)により民が困窮(こんきゅう)していることは承知していた。
 それだけでも知っているとは、春蘭は少々意外に思う。

「それだけじゃないのよ。柊州全土をある武者(むしゃ)集団が制圧してて、大変な状況なの。薬材も彼らが独占して値を吊り上げてる」

 煌凌は驚いて瞠目(どうもく)した。
 薬材が足りないのは、ひとえに疫病のせいであるとばかり思っていた。

「しかも、その裏で糸を引いてるのが……蕭家よ」
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