桜花彩麗伝

 迷子の仔犬さながらの煌凌を見て、朔弦は呆れたように尋ねた。

「え」

「やはり、陛下は陛下のようですね。多少はましになったと思いましたが、わたしの見込みちがいでした」

 淡々と言い放ち、さっと踵を返す。もはや彼の眼中に王などいなかった。

「失礼します。どうかお元気で」

「ちょっと、待────」

 無情にも振り向かない朔弦の背はどんどんと遠ざかっていった。
 次にいつ会えるかも分からないというのに、彼は微塵(みじん)も惜しまない。

「…………」

 愕然とし、落胆してしまう。
 彼にとって自分がいかに無価値であるか、嫌でも悟る。
 朔弦が求めるのは英明(えいめい)で勇猛な王であり、煌凌がそうであるとも、煌凌である必要性も、感じていないというのが現状なのであろう。

 友人ではないのだ。
 かと言って“主”となりきれてもいない。

 彼は馴れ合うことも取り入ることもせず、ただ冷酷なまでに己の役割を(まっと)うするのみである。
 先ほど以上に失望すれば容赦なく見限り、切り捨てられるにちがいない。

 煌凌は気を引き締めた。
 王とはもとより孤独な立場である。

 しかし、以前にはなかった自分以外の“守るべきもの”の存在が、凍える背に寄り添ってくれている。
 王宮は依然として伏魔殿(ふくまでん)でしかない。
 己と、守りたい彼ら彼女らの居場所と安息は煌凌自身の手に懸かっている。

「……余は、王だ」

 どれほど孤独に溺れようと、怯えようと、その使命を忘れたことは、一度たりともない。



     ◇



 翌日の早朝、執務室から必要な荷物を運び出した朔弦は宮中を歩いていた。
 ちょうど今朝の記憶を辿りながら────。



 朔弦に対する不当と言わざるを得ない人事を遅れて聞きつけた悠景は、密かに屋敷を出ていこうとしていた甥を呼び止めた。

「おい、朔弦。どうなってんだよこりゃ。何で俺にひとこともねぇんだ」

「……申し訳ありません、叔父上」

 大して悪びれることなく謝りながら朔弦が振り向いた。
 白み始めた夏空やたなびく雲より、その肌は色白に透き通って見える。
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