桜花彩麗伝

「柊州へは今日()ちます。どうか、酒は控えて健やかにお過ごしください」

「待て待て」

 一礼を残し、さっさと踵を返す朔弦を再び引き止めた。

「何だよ、もう受け入れたし文句もねぇってわけか? 情けねぇな、謝家の跡取りがそんな弱気じゃ」

「叔父上」

「俺だって、子も同然のおまえを虚仮(こけ)にされて黙ってられねぇよ。おい、吏部へ行って直接かけ合うぞ。いや、陛下に頼んで取り消してもらった方がいいか?」

 言いながら前庭(ぜんてい)へ下りてきた悠景の足元がぐらつき、朔弦は素早く肩を支えた。
 やはり、とその目を細める。
 どれほど呑んだのか、濃い酒のにおいが鼻についた。

 どうせ、こうなると思っていた。
 だからこそ叔父には、出立の当日まで柊州行きを隠し通していたのである。

「聞かなかったことにします。酔っ払いの(たわむ)れですから」

「ああ? 俺は酒なんか呑んでねぇぞ!」

 開け放たれた室内に目をやれば、円卓の上に酒瓶まで見えた。
 悠景はもともと大酒家(たいしゅか)ではあるが、(いさ)める立場にある自分が彼のもとを離れるとなると気がかりでならない。

 支えながら室内へ入り、悠景を椅子に座らせた。
 途端に酒瓶を引っ掴んで(あお)っている。
 “酒は控えて健やかに”という言葉は、既に忘却(ぼうきゃく)彼方(かなた)にあるようだ。
 彼が酒瓶を置いたのを見計らい、朔弦は口を開く。

「────叔父上、わたしは屈したつもりなどありません」

 振り返った悠景は、その切れ長の双眸(そうぼう)を見上げた。
 一見、何の色も浮かんでいないようだが、悠景には分かる。
 その言葉通り、静かな炎が宿っていたのだ。怒りや使命感を密かに抱いているのであろう。

 いかなる感情も奥へと追いやり、柊州へ赴くことへの正当な理由を既に見つけている。
 諦めたわけではない。
 どうせ受け入れるほかにないのであれば、この理不尽な仕打ちを後悔させてやろう────という強気な覚悟が見て取れる。

 悠景は思わず笑った。
 血は争えないようだ。もっとも、親子ではないのだが。
 その負けず嫌いなところは、悠景の気質によく似ていた。

「……悪かったよ、見くびって」

 立ち上がった悠景が、朔弦の肩に手を置く。

「好きに暴れてこい。俺も酒は控えることにするぜ」



 ────人の話など聞かず、自己中心的で欲望に忠実。
 常に我が道を行っているような叔父ではあるが、自分のことは気にかけ、かなり信頼してくれている。

 彼の甥として、一番の部下として、次期謝家当主として、その期待には応えなければならない。
 何より重んじるべきはやはり叔父や謝家の命運だ。

 朔弦がそう思いを()せていると、ふっと目の前に人影が現れた。
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