桜花彩麗伝
「分かった。それくらいはお安い御用だよ。……ただね」
快く頷いた元明であったが、途中で言葉の調子が変わった。
朔弦と目を合わせると、にっこりと微笑む。
「悠景殿も気づいていると思うよ。きみの心配するところには」
さぁ、と清々しい風が吹き抜けた。
元明は続ける。
「自分と同じくらい、それ以上に、朔弦殿のことを大切に思って信頼しているだろうから」
朔弦の双眸がわずかに揺らいだ。
元明に言われると、なぜか重みを伴って真に受け止められる。
彼に懐く煌凌の気持ちが少しばかり理解できたような気がした。
朔弦は口を噤んだまま、謝意でも述べるかのように頭を垂れる。
それを見届けた元明は悠然と頷き、執務室へと入っていった。
◇
その執務室を彼女が訪ねてきたのは、それから数刻後のことであった。
「よく来たね、春蘭」
華々しい後宮の妃となった娘に、いつも煌凌にするのと同じように茶を淹れてやる。
こうして宮中で顔を合わせる日が来るとは、未だに実感が湧かない。
いつもと変わらない様子で茶を含む娘を窺う。
「……大丈夫かい?」
そう尋ねながら、何について案じているのか自分でも分からなくなった。
朔弦に大口を叩いておきながら困ったものだ、と肩をすくめる。
「ん? 大丈夫よ。紫苑や櫂秦だっているし、煌凌も守ってくれてる。わたしはわたしの役目を果たすわ」
────いつの間に、これほど強くなっていたのだろう。
元明は嬉しいような寂しいような気持ちになり、懐かしむような眼差しをした。
小さな身体で鞠のように駆け回っては、笑ったり泣いたりと目まぐるしい子であった。
好奇心旺盛ではつらつとしながら、周囲への気配りを忘れたことはない。
彼女が生まれた日のことも、初めて言葉を発した日のことも、まるで昨日のことのように鮮明に思い出せる。
いまになって“婚姻”という事実が重くのしかかってきた。
その婚姻は鳳家の命運を背負わせた結果であり、王宮で常にその身を危険に晒すことを強要するものである。
何より、まんまと罠にはめられた自分が、それを帳消しに元の椅子へ座るための足がかりにしたと言っても過言ではない。
家門や己のために娘を利用した。
政争や権力争いの犠牲にした。彼女の自由を奪い、縛りつけた。
娘を嫁に出す心境の複雑さよりも、不安と申し訳なさが募る。
後宮という鳥かごに閉じ込められた春蘭はいま、果たして幸せなのだろうか……?