桜花彩麗伝

 戸部は六部の中で、財務関連の行政を司掌(ししょう)している部署である。
 吏部尚書に兵部尚書と、いずれも自身にとって都合のよい人物を配している容燕であるが、戸部までもがそうであったとは。
 人事、兵、財政と掌握(しょうあく)しているわけである。

「ああ、戸部尚書は(はく)文禪(ぶんぜん)という男。その本邸は柊州にある」

「柊州に……」

 状況からして、文禪は公邸(こうてい)ではなく本邸にいる可能性がある。
 この先、顔を合わせることとなるかもしれない。

「つーかさ、榮瑶ってどうなってんの?」

 不意に思い出したかのように櫂秦が言った。

 確かにそうだ。現州牧の彼はいま、どのような処遇になっているのであろう。
 百馨湯の配給もどうなったのか分からない。

「……蕭榮瑶か」

「え、蕭?」

 莞永が驚いたように声を上げた。
 もとより武官である彼は、さすがに中央以外の事情には疎いようである。

「容燕とこの庶子(しょし)なんだってよ」

「何でそんなこと知ってんすか?」

「え? いやー……別にたまたま」

 それ以上の追及は受けなかったが、軽率であった。
 自身が雪花商団の頭領であることの露呈(ろてい)に繋がりかねない、不用意な発言は控えるべきだ。

「……何とも言えないが、厚遇(こうぐう)はされていないだろうな。まだ生きていればいいが」

 朔弦の不穏なひとことに、全員の表情が凍りついた。
 百馨湯の配給を榮瑶に任せたことも含め、全容を把握している朔弦が、とりなすために冗談を言ったのかと思った。
 そんなわけがなかった。彼が冗談などを口にすれば、真夏でも雪が降るにちがいない。

 彼の想定する最悪の事態は、榮瑶が既に殺害されている、というものであるようだ。
 殺されたとすれば、紅蓮教に“百馨湯の配給”という言わば裏切り行為が露呈してしまったゆえであろう。

「おいおい、怖ぇよ……。そういうこと真顔で言うなよな」

 青ざめた櫂秦の言葉には、ほかの面々も内心同感であった。



 軒車の手配や支度を整えに、莞永と旺靖がひと足先に桜花殿をあとにすると、春蘭は朔弦を呼び止める。

「お気をつけて。どうか、ご無事で」

 神妙な面持ちで言われ、ふと思わず彼は笑った。

永劫(えいごう)の別れでもないのに大げさだな。おまえにはもっと、図太くしたたかになって欲しいところだが」

「……では、わたしの代わりに州民と楚家を救ってください」

 真剣な表情で春蘭は申し出る。
 普段は無一色の彼の双眸(そうぼう)に満足気な色が滲んだ。あるいは興がるようでもある。

「────ああ、必ず」

 決然と頷き、踵を返した朔弦の背を黙して見送る。
 彼が柊州へ赴くことは必ずしも窮地(きゅうち)にはなり得ない。むしろ、この上ない好機であろう。
 その力量には疑う余地もなく、春蘭が案ずるようなことは何もないはずなのだから。

 そのとき、不意に櫂秦がそばへ現れた。

「ちょっと待ってくれ」

 その涼しげな横顔は春蘭以上に真剣そのものであり、眼差しは縋るようでもあった。
 彼は朔弦に追いつくと謹厳(きんげん)な語り口で言う。

「おまえに話がある」
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