桜花彩麗伝
驚いて目を見張った榮瑶は、すぐに再び唇を噛み締めた。
辛うじてしがみついていた州牧の地位すら追われ、何の権威も失った自分に、いまさら何ができると言うのであろう。
「あの、でも僕は……」
「いいから早く行ってこい」
おろおろと狼狽える榮瑶の言葉など、朔弦は微塵も取り合ってくれなかった。
あっけなく公邸から追い出されてしまう。
前庭へ出た榮瑶は絶句した。一角に倒れた人の山ができている。
公邸と榮瑶を見張っていた屈強な紅蓮教徒がすっかり叩きのめされ、きゅう、と伸されて萎んでいた。
意識のない彼らを捕縛している男ふたりが目に入る。
まさか、たったふたりでここまでのことを……? と、青ざめたとき、そのうちのひとりが振り向いた。榮瑶の存在に気がついたらしい。
「あれ、まだ人がいた! まさかあんたも“虫”っすか?」
「虫!? ち、ちちちがいます! し、失礼します!」
血の気が引くのを感じながら、脱兎のごとく逃げ出した。
彼らと目を合わせようものなら自分もあの山の一部と化すように思え、ぞっと背筋が寒くなる。
彼らは朔弦の部下なのであろうか。
主が主なら部下も部下である。何と恐ろしいのであろう。
榮瑶は半ば涙ぐみながら駆けていき、町へ出ると足を緩めた。
すれ違う人や店の様子を慎重に目で追う。
自分が最後に見た柊州の光景より、いくらか暗く衰退しているように感じられる。
夏であるというのに空気感は寒々しく、町のどこにも活気がない。
風景は色褪せ、荒みきっていた。
道端には行き倒れになっている民の姿もちらほら見受けられる。
「……っ」
悔しく、いたたまれなく、強く拳を握り締める。
たとえば彼らに手を差し伸べても、そこには与えられる薬材も食糧も何も載っていない。
無力な自分には何もできない。
激流のように身体の内を駆け巡る感情を必死でおさえ込み、榮瑶はただ無心で歩を進めた。
◇
「なあ、朔弦から知らせは?」
「まだないわ」
彼が発ってから二日ほど経過したが、いまのところ便りはない。
さすがに進展がないからか、あるいは紅蓮教の監視が厳しいせいかは分からないが、少なくとも状況を知る術はなかった。
柊州は魔窟であり、連中に検閲されてしまうためにこちらから書翰を送ることもできない。
「そうか……」
櫂秦は都度こうして同じことを尋ねては、春蘭もまた心苦しく思いながら同じことを答えていた。
『おまえに話がある』
────あのとき、彼は朔弦に自らの素性を明かした。
消息の掴めない兄のことも伝え、兄貴を頼む、とすべてを託す判断をしたのである。