桜花彩麗伝
かくして彼からの連絡がないかどうかをしきりに確かめているのは、兄を見つけ出すことができる可能性が高まったゆえの期待のみが理由ではない。
暢気に構えていられなくなったのである。都でも、紅蓮教徒による事件が頻発するようになったためだ。
たとえば強奪や高利貸しなど、柊州でやっていた“好き勝手”を臆せず都でもやり出したのである。
よほど後ろ盾が強力らしい。やはり蕭家だ。
また、熱心に人探しをしているという噂もある。
まず間違いなく雪花商団の頭領、すなわち櫂秦を捜しているのであろう。
そのため、もしかすると楚本家や芳雪、兄の珀佑にも累が及ぶのではないかと懸念していた。
「……やっぱり、一度でいいから夢幻と会って話したいわね」
櫂秦の憂慮を悟り、その不安定な態度を見かねた春蘭が呟く。
「となると、やはり宮廷を抜け出すことになりますよね。大丈夫でしょうか……」
「帆珠が後宮に来る前なら隙もあると思うんだけど……念のため、わたしに考えがあるの」
◇
「し、婕妤さま」
桜花殿内の衣装部屋で、戸惑い顔の芙蓉が春蘭を呼んだ。
彼女は橙華やほかの女官の手によって、普段の春蘭を彷彿とさせるような美しく華やかな姿に飾り立てられている。
衣装に化粧に装飾品にと、どれも本来の芙蓉であれば生涯触れることすら叶わなかったであろう一級品ばかりだ。
「これは何ですか? なぜ、わたしがこのような……」
「芙蓉、お願いがあるの」
改まった調子で呼びかけられ、芙蓉は言葉を切った。
謹厳な面持ちの春蘭に見据えられ、その“願い”とやらの重厚さを悟る。
「宮廷を抜け出してる間、あなたがわたしの代わりになってくれない?」
「えっ!?」
「留守がばれないようにしたいし、時間を稼ぎたいの。わたしがいない間は、あなたが婕妤になって」
密やかな後宮妃生活────芙蓉の瞳が揺れた。
身にまとった衣装や飾りの重みを実感する。不意に部屋の中が眩しく感じられた。
「で、ですが、わたしもお嬢さまについて外へ……」
「それは橙華にお願いするわ。宮外に用事があるらしいし」
そう言うと、橙華が芙蓉に頷きかけた。
供は任せて欲しい、と言いたげであるが、芙蓉の不安気な顔は晴れない。
「お嬢さま……」
「ごめんね、これはあなたにしか頼めないと思って。でも、どうしてもって言うなら無理にとは言わないわ」
彼女の意思を無視した勝手な申し出であることは重々承知している。
危険が伴うことは間違いない。
何せ、場が“後宮”という太后の独壇場であるのだから。
自分がそばにいられない以上、彼女を守れる保証はない。そのくらい身勝手なことを頼んでいる。
芙蓉は一度俯き、やがて顔を上げた。決然とした強い眼差しを向ける。
「……いいえ、お嬢さま。やります」
「本当?」
「はい、それでお嬢さまのお役に立てるなら」
迷いを捨て去り言い切った芙蓉の手を取り、春蘭はしっかりとその双眸を捉えた。
「ありがとう。……身を守るためにも、少しでも危険を感じたらすぐにやめて大丈夫だから」
「分かりました。どうかお気をつけて行ってらっしゃいませ」