桜花彩麗伝
バン! と文禪は卓子を叩いた。
微かに聞こえた話し声は、やはり聞き間違いでも気のせいでもなかったようだ。
まさか逢瀬とでも言うのであろうか。白昼堂々、この白家の屋敷で?
王の妃となった、仇敵の娘と?
文禪は眉間に皺を寄せ、憤慨した。
「愚かな……」
そんなまやかしの感情にたぶらかされ、踊らされるとは────。
あの子には白家の行く末が懸かっている。
一時の不埒な行動で立場を危うくし、これまで積み上げてきたすべてを台なしにされてはたまらない。
また、いまこの屋敷やその付近を部外者にうろつかれるのは不都合極まりなかった。
あるいは容燕の信頼と、蕭派としての地位を失いかねないのだ。
「……いや、鳳婕妤か。むしろ都合がいいかもしれんな」
「え……?」
「そやつが妙な真似をするようなら、そなたの手で殺してしまえ」
◇
路傍を歩きながら、春蘭は思いきり顔をしかめる。
聞いていて頭が痛くなるような、不愉快な言葉の数々であった。
思わず割って入りたくなる気持ちをこらえ、こうして退散してきたわけである。
先ほどの屋敷が正真正銘の白家別邸であり、彼に「父上」と呼ばれていた男が文禪であろうことは掴むことができた。
しかし、文禪の辛辣な言葉が引っかかったまま離れない。
他家の事情に踏み込む方が野暮なのであろうが。
白文禪────既に聞いていた通り、蕭派の核を担っている人物だけあってその忠誠心は計り知れない。
息子でさえその駒としか見ていないようだ。
“存在価値もない”などという冷ややかな厳たる言葉を、彼はいったいどんな顔をして受け止めたのだろう……。
「お嬢さま!」
不意に声をかけられ、びくりと肩が跳ねた。
上げた視線の先には急いで駆け寄ってくる紫苑がいた。
「あ……」
「何をなさっているのですか! 紅蓮教のせいで危険だというのに、なぜおひとりなのです? 櫂秦はどうしました」
正体を隠しているとはいえ、だからこそ春蘭が紅蓮教徒に捕まりでもすれば、彼女を守ってくれる盾は何もなかった。
煌びやかな格好をしていたのは、下手に変装するより逆によかったかもしれない。
その装飾品を値踏みしたり、身代金のあてを考慮したり、捕まったとしてもそういう利用価値がある以上、すぐには殺されないだろう。
しかし、それでも目をつけられれば危険な目に逢うこと請け合いだ。
こうして無事に済んだことは幸運でしかない。