桜花彩麗伝

第十八話


 姿を消していた櫂秦が桜花殿へ戻ってくると、現れるなり紫苑がその胸ぐらを掴んだ。
 引き寄せられた勢いで我に返ったように、困惑気味に紫苑の双眸(そうぼう)を見返す。
 春蘭や芙蓉たちも突然の事態に戸惑った。

「おまえは何だ。お嬢さまの護衛だろう」

「それが何だよ……?」

「その役割を放棄してどこをほっつき歩いていたんだ、ばかが! ただでさえ物騒な町中(まちなか)にひとり置き去りにして消えるとは、とても正気とは思えない」

 確かな憤りを(あらわ)に非難すると、櫂秦は唇を噛み締め俯いた。
 自覚はあるのか、ひとことも反論することなく受け止めている。

「……悪ぃ」

 それに関しては言い訳の余地もない。自身の事情と感情を優先し、任された役割も彼女を守るという約束もおろそかにしたのだ。
 紫苑の怒りはもっともであり、過保護だと(わら)うことはできなかった。

 いつになく余裕のない櫂秦の様子に、紫苑も出鼻をくじかれた気分であった。
 それ以上責め立てる気にはなれず、手を緩めると襟を離す。
 なおも顔を上げない櫂秦を眺め、さすがに春蘭が口を挟む。

「何かあったの?」

 重たげな沈黙を経て、彼は口を開いた。

「────兄貴を見つけた」

 予想だにしない言葉に驚いてしまう。
 しかし、それは彼の念願であったはずだ。その割に沈痛な面持ちで打ちひしがれており、何やら様子がおかしい。

「それは、よかったんじゃ……」

「そうだけど、そうとも言いきれねぇんだよ」

 櫂秦の兄である珀佑は、柊州から連行されてきた“罪人たち”の中にいた。
 すなわち、紅蓮教徒に名を連ねていたのである。

 無論、裏切って寝返ったわけではない。
 楚家の人間ながら教徒に顔の割れていなかった珀佑は、潜入して情報を探り、内部崩壊を目論んでいたのであった。

 錦衣衛の牢で彼から直接話を聞いたときは、なんて無謀なことを、と驚愕したが、珀佑は何も軽率な賭けに出て危険に飛び込んだわけではなかったようだ。

『無謀じゃないよ。僕は、勝算がない不確かな選択はしない』

 格子(こうし)越しに向けられた双眸(そうぼう)には、凜然と強い光が宿っていた。

 紅蓮教は楚家を狙っているのだ。国一番の大商団であった雪花商団を、あわよくば乗っ取ろうとしていたのだろうと珀佑は推測している。
 紅蓮教に潜入していざ命の危機に晒されれば、惜しまず素性を明かそうと思っていた。
 頭領(とうりょう)を追う連中は、情報源かあるいは取り引きの材料として、自分を生かすはずだから。
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