桜花彩麗伝
橙華は眉を下げたまま続ける。
「そのせいで若さまはほとんど屋敷に籠もりきりなのです。父親からの重圧に耐えながら、ずっとおひとりで」
彼の部屋の書棚にはところ狭しと書物が並び、卓子にもまた高々と積まれている。それでもって日夜、勉学に励んでいるのであった。
『あ、すみません。誰かと会うのは久しぶりで……。こうして、あなたと話せたことが嬉しくて』
橙華の言う通りかもしれない。
どこか儚げな彼を思い返した春蘭もまた、悲しげな面持ちになる。
(……少し、煌凌に似てる)
ふとそんなことを思った。
孤独に苛まれ、鬱々と塞ぎ込んでいた王。
押しつけられる無責任な重圧に潰されそうになりながらも、必死で自身の居場所を守っている。
誰にも頼れず、誰にも心を開くことができない、寂しげな姿が彼と重なったのであった。
「……なぜ、それほど白家の事情に詳しい?」
紫苑があくまで冷静に尋ねる。
はっと我に返った橙華は慌てたように視線を彷徨わせた。
「は、白家にはお世話になっていて……」
動揺を隠しきれないのは、自分で自分の行動に困惑したためであった。
お世話に、どころかその間者として暗躍する橙華が白家に精通しているのは当然なのだが、その若君のことをここで話したのは衝動的なことだった。
同情や憐憫の念がそうさせたのかもしれない。
春蘭が去ったあとの彼の表情を見てしまったから。
「…………」
どことなく翳りのある橙華の様子を受け、春蘭と紫苑は再び視線を交わす。
ただならぬ事情を察するに余りあるが、いまはまだ窺い知れそうもなかった。
申し出てくれた芙蓉に代わりを任せ、宮殿を抜け出した春蘭と紫苑は、大路の脇にしなる柳の陰からひときわ大きな存在感を放つ一軒の屋敷を眺めていた。
目的の白家別邸である。
「若さまとお会いできるでしょうか」
「ええ、きっとね」
実際に会した彼の気性は、父である文禪のそれとは大いに異なっていたことを春蘭自身が保証できる。
橙華の話があと押しとなり、期待は希望へと変わりつつあった。
髪の結い目から花簪を抜くと、しゃらりと揺れた飾りが玉を転がすような音を立てた。
さら、とこぼれ落ちた髪が流れる。
牆壁のすぐそばへ寄った春蘭は、そろりと振りかぶって簪を投げた。
かつ、と何かに当たったらしく甲高い音が鳴る。
ほどなくして足音が聞こえたかと思うと、果たして牆壁の上から彼が顔を覗かせた。
鈴蘭や白百合の似合いそうな、清らで色白な美青年。
「────姫さま」