桜花彩麗伝
「……ひとまず、僕はこの屋敷にも百馨湯が隠されていないか探してみますね」
「そうしていただけると────。感謝します、公子さま」
言い出すまでもなく意図を悟ってくれた淵秀の申し出に甘え、春蘭は心からの礼を告げる。
「では、今日のところは失礼します」
上品な所作で丁寧に腰を折ると、彼も同様にして応じた。
踵を返し、紫苑を伴って歩き出したところ、不意に背後から声をかけられる。
「あの、お待ちください」
どこか慌てながらも躊躇いがちに引き止められ、春蘭は振り向いた。
淵秀は手にしていた髪飾りを掲げる。先ほど牆壁の向こう側へ投げ入れたものであった。
はたとその花簪の存在を思い出した春蘭は「あ……」と小さく呟き、牆壁の方へ戻る。
「すみません。ありがとうございます」
苦く笑いつつてのひらを差し出したが、なぜか間があった。
一拍、動きを止めた淵秀の手が、そろりと伸びてくる。
「触れて……は、いけませんよね」
彼はそっと目を伏せる。
紫苑が払い除けるまでもなく、横髪まで伸ばされた手は止まった。
萎れた花のようにやわく拳を握り締めると、静かに下ろす。
戸惑う春蘭の手に花簪を載せ、切ない色をまとう微笑をたたえた。
「次はいつお会いできますか?」
その言葉に、自然と春蘭の心がさざめく。
九年前、桜の下で別れたきりの佩玉の持ち主がよぎった。
また会えるかと、彼もまた不安そうに尋ねてきたことを思い出す。
「……近いうちに、必ず」
不意の動揺をおさえ、春蘭は笑んだ。
今度こそ道を引き返し、歩いていく。
────もう、桜は散った。果たされない約束ばかりが宙ぶらりんなまま。
あの佩玉はいまも手放すことなく持っている。
鳳邸の自室にある鏡台の引き出しで長らく眠っていたが、入内に合わせ、桜花殿に移した。
あの幼い彼はどうしているのだろう。
忘れたことは一度たりともなかったが、何だか久しぶりに記憶の表面部分に浮かび上がっては気にかかった。
「紫苑」
「……はい、お嬢さま」
「サンザシ飴でも買って帰りましょうか」