桜花彩麗伝

 投獄された教徒らを殺害した下手人(げしゅにん)は、同じく教徒であると思っていたが、そうとは限らないかもしれない。

「じゃあ、まさか蕭派が口封じを?」

「その可能性はあるっすね。それで紅蓮教が逆恨みして、今回密告することで蕭派を売ったとか」

「ということは、紅蓮教と蕭派は決裂(けつれつ)したんでしょうか……?」

 目の前で繰り広げられる議論を耳に、朔弦は目を細める。
 いずれにしても、妙な流れであることは間違いない。
 何者かの思惑により打たれた新たな一手を、どう解釈すべきか思索(しさく)(ふけ)った。



     ◇



 深更(しんこう)────州府の面々は公邸(こうてい)へ帰着し、屋舎(おくしゃ)はもぬけの殻となっていた。
 当然ながら夜通し見張りをする衛士(えじ)もおらず、忍び込むこと自体はこの上なく易い。

 旺靖は開いたままの半蔀(はじとみ)から器用に身を滑り込ませ、音もなく床に着地する。
 戸締りを任されていた彼があえて一箇所、開けておいたのであった。

 几案(きあん)に置いてある(はこ)を開け、一枚の料紙(りょうし)を手に取る。
 唯一にして最大の証拠である、蕭家名義の領地(りょうち)の権利書であった。

「…………」

 旺靖は怜悧(れいり)に目を細める。
 主に朔弦の思惑通りに滞りなく事が運んでおり、すっかり絶望的に滅入っていたが、ここへ来て思わぬ隙が生まれた。

「……過信(かしん)したな、甘ったれが」

 お陰で好機を掴むことができた。毒づいたものの、それはできうる限りの抵抗に過ぎない。
 素早く折りたたんだ権利書を(ふところ)にしまった旺靖は、瞬く間に半蔀(はじとみ)から飛び出していった。



     ◇



 夜が明けると、州府は騒然となった。

「ない……。例の証拠が消えました!」

 几案(きあん)をひと目見た榮瑶がさっと青ざめ、喚き立てる。
 つられるように慌てた莞永も手早くあたりを探したが、それらしきものは見当たらなかった。
 白々しくも旺靖は「そんな」と愕然(がくぜん)としてみせ、窺うように朔弦を見やる。

 やはり冷静沈着で一見動じていないように見受けられたが、普段ほどの余裕は欠いているらしい。
 空の(はこ)に触れ、小さく「やられた」と呟く。

 州府にも間者(かんじゃ)がいたか、外部から侵入されたか、いずれにしても管理が甘かった。油断が招いた失態にほかならない。
 ……あの証拠が消えた以上、こたびの一件で蕭家を追い詰めることは断念せざるを得ないであろう。

「どうしましょう? 謝州牧……」

 泣きそうなほど不安気な面持ちで榮瑶が尋ねる。
 顔を上げた朔弦はいくらか平静を取り戻し、毅然と言を紡ぐ。

「────一旦、諦めてけりをつける」

 しかし、決して投げ出すわけではなかった。
 州牧の任に追いやったことで勝った気になっている連中の鼻を明かすことが、いまできうる最大の牽制(けんせい)と攻撃である。
 そのためにも、柊州の波乱をこの手で終幕させるほかない。

()どころを問わず、教徒をひとり残らず捕らえろ。手段も生死も問わない。州内の紅蓮教を解体させる」
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