桜花彩麗伝
一時であれ偽装であれ、邪教に過ぎない紅蓮教に籍を置いていた彼を、事情はさておき釈放しては、のちに取り沙汰されたかもしれない。
個人的な理由で特別扱いをすることは公平性に欠ける上、その判断の誤りは王たる資格に直結する。
彼の命を守る意味でも、羽林軍の獄舎で保護したことは最良の選択であった。
だからこそ、吏部を通さない勅命でのこの人事には、連中も反発する余地などないであろう。
そもそも朔弦たちの柊州で立てた手柄が前提にはなるが、彼らは墓穴を掘ったことになる。
いずれにしても、この地を離れていたわずかな間に、煌凌は心の幼い子どもではなくなっていた。
日に日に王らしくなっていく彼には、後宮に召し上げた春蘭の存在が間違いなく効いているのであろう。
それは決して、後ろ盾という意味だけに留まらず。
『余も自分に驚いたが……春蘭たちを守るためだと思うと、不思議と力が湧く』
出立の日、彼が言っていた通りだ。
あのとき朔弦が突き放したことも、毒ではなく薬として作用したようである。
「……朔弦?」
暫時、黙していた彼を案ずるように呼ぶ。
はたと現実へ立ち返った朔弦は、受け取った巻子を手に目を伏せた。
「仰せの通りに。ご聖恩に感謝します、陛下」
彼に続き、榮瑶もまた深々と頭を下げる。
これは、恐らくこの場にいる全員の望むところを叶えた結果であろう。
ひと通り元に戻ったことになるが、しかし以前とは確実にちがう。
窮地を脱した柊州は魔窟ではなくなり、州牧の地位に実が伴うようになった。
これからは榮瑶が、州民を気にかけるのみならず能動的にその職責を果たしていかなければならない。
朔弦のようにはとてもなれないが、自分にできることをひとつひとつ諦めないだけだ。これまでのように。
ますます気が引き締まる思いで、彼は凜然たる表情をたたえた。
◇
容燕が執務室から出たとき、そこにはひとりの男が立っていた。
「これは……」
彼をひと目見た容燕が片眉を上げる。
まだ三十手前ほどだが、並々ならぬ気迫をまとっている。
普段は警戒心を与えない軽薄な態度を装っているものの、いまはそんな気配もなく、その顔には何の色も滲んでいなかった。
背丈は決して高くはないが、武芸者らしく筋骨隆々とした体躯の男である。
「何をしに来た。宮中では会わぬ約束では?」
「火急の事態ですから」
男、もとい旺靖は堂々たる口調で言った。
連れ立って人目につかない禁苑の奥へ向かうと、ざわざわと梢が騒がしい音を立てた。
夏らしからぬ冷ややかな風が一陣吹き抜け、はらりと葉が降る。
「────こたびの一件では苦労したようだな」