桜花彩麗伝

 容燕の言葉に旺靖は笑った。まったく温度の感じられない、(さげす)むような笑みである。

「他人事ですね。己も危ういところでしたでしょうに」

 挑発するかのように言ってのけると、(ふところ)に手を入れた。
 折りたたまれた料紙(りょうし)を取り出し、容燕に差し出す。
 一度は州府に押収された、蕭家名義の例の権利書であった。

「これで和解といきましょう」

 口ではそう言いながらも、旺靖の顔はいっそう不興(ふきょう)に染まる。
 苛立ちを隠そうともしないが、事が事だけに、さらにはものがものだけに、容燕も咎めはしなかった。
 もとより手を組んだからといって、対等な関係が保証されるわけではない。
 特に────武骨(ぶこつ)邪教徒(じゃきょうと)を率いる“紅蓮教の(かしら)”に対し、礼節(れいせつ)を求めるだけ無駄である。

 権利書を受け取った容燕は、慎重にその真贋(しんがん)を確かめた。
 やがて小さく頷く。

「……いいだろう。確かにそなたのお陰で難を逃れた」

「ただ、もう当分は何もできませんね」

 旺靖は投げやりに言った。既に諦めているようで、完全に覇気(はき)を欠いている。

 紅蓮教も潰されてしまい、朔弦がいる限りは再興も望めない。とても現実的ではないことを、柊州で嫌でも目の当たりにした。
 百馨湯の価格も暴落し、当初目論んでいた金儲けという計画も頓挫(とんざ)した。
 一応、桜州にも教徒がいるが、朔弦が中央へ戻った以上、千江寺に踏み込まれるのは時間の問題であろう。

「どうするつもりだ」

「まあ……しばらくはまた息を潜めますよ。これまでのように、ばかなふりをして時機(じき)を待つしかない」



     ◇



 桜花殿へと帰還した櫂秦の顔は晴れ晴れとしており、いつも以上に強気な自信が宿っているように見えた。
 近頃のあらゆる憂慮(ゆうりょ)から解放されたことが窺える。

「さっき、兄貴が宮殿を出た。これからは俺じゃなく、あいつが楚家の当主で商団の頭領(とうりょう)だ」

 もともとそれらの役目を重荷に感じ、気がないことをほのめかしていたことから、その判断には特別驚くこともなかった。
 獄で相見(あいまみ)えた珀佑の、穏やかながら隙のない態度や慧眼(けいがん)を目の当たりにしたこともあり、むしろ彼以上の適任者はいないと思えるほどである。

「本家は猛反対するだろうけど、俺と姉貴で絶対に説得してみせる」

「……そう。とにかくよかった、危ぶんだことはぜんぶ杞憂(きゆう)に終わって」

 早々に決着がついたお陰で、何事もあと腐れなく終幕を迎えたように思う。
 彼らきょうだい三人も含め、それぞれが望んだ方向へと向かっていくのであろうことを信じられるほどには、最良の結果を迎えられたのではないだろうか。

「おまえはこれからどうするんだ?」
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