桜花彩麗伝
第四章 渦巻く愛憎

第二十一話


 後宮にまつわるいざこざは、淑徳殿が渦中(かちゅう)の場となるのが相場であろう────春蘭は櫂秦とともに殿へと急いだ。

 駆けつけるなり中へ飛び込むと、壁面に沿って大勢の女官が整然と連なっていた。
 壇上の長椅子に腰を下ろす太后と、殿の中央に(ひざまず)く芙蓉をそれぞれ捉える。
 彼女は身ぐるみを剥がされた中着(なかぎ)姿で、髪も乱れた状態であった。
 手荒な連行のされ方をしたのか、いずれにしても強く抵抗したのであろう。

「婕妤さま……」

 泣きそうなほど不安気な芙蓉と目が合い、春蘭は咄嗟に気色(けしき)ばんだ。
 何とかしなくては、と一歩踏み出したとき、太后がわざとらしく靴底を打ち鳴らして立ち上がる。

「“婕妤”だと? 無責任極まりないそなたに、そんな資格があると申すか?」

「それは……」

「一介の下女が妃嬪(ひひん)に成り代わり、贅沢に暮らすなど言語道断。この娘は後宮を(けが)した大罪人だ」

 返答に窮する春蘭を追い込むべく、太后は厳然と言い放った。
 おののいて身を震わせる芙蓉の顔から血の気が引き、いっそう青ざめる。

「後宮を取りまとめる(おさ)として、こたびの件を見逃すわけにはゆかぬ。その綱紀(こうき)粛正(しゅくせい)すべく、そなたに杖刑(じょうけい)五十回を命ずる」

 その場にいた全員が息をのんだ。
 芙蓉の顔色が紙のように白くなり、滲んだ冷や汗が伝う。先ほどよりも大きく身体を震わせ、愕然(がくぜん)と放心した。

 杖刑は、笞杖(ちじょう)により背や臀部(でんぶ)など背面を打つ刑罰である。
 その苦痛は想像に難くなく、あまりの恐怖に気を失いそうになった。

「お待ちを……。どうかお待ちください。この者はただ、わたくしの────」

「異を唱えるならそなたのことも罪に問う」

 春蘭の言葉を遮り、太后は鋭い眼差しを突き刺す。

「分からぬか? そなたの行いは側室としてあるまじきものだ。それを、この者への罰により水に流してやると言っておる。これは妾の温情だ」

 我が身かわいさに易々と引き下がることが、この座を守るためには正しい判断であるのかもしれない。
 しかし、それではあまりに身勝手だ。芙蓉に対して合わせる顔がない。
 いずれ露見(ろけん)するであろうことを危惧(きぐ)していながら、何度も繰り返したのは完全なる“甘え”だった。

「ですが、太后さま……」

 慎重に言葉を探して口を開いたところ、唐突に正面扉が音を立てて開いた。
 全員の注目が一点に集まる。

(え……)

 そこにいた人物を捉えた春蘭は目を見張った。

 鮮やかに冴えた色合いの煌びやかな衣装に身を包んだ“彼女”は、惜しみない装飾品をまとい、華やかに着飾っている。
 施された化粧は濃抹(のうまつ)ながら、意思の強そうな眼差しとはっきりとした顔立ちを美しく引き立てていた。

「蕭淑妃(しゅくひ)さま」

 紅の引かれた唇が弧を描く。
 堂々たる歩みで中央を進んできた帆珠に、両端に控える女官たちが(こうべ)を垂れた。
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