桜花彩麗伝

 ついにこのときが訪れてしまった。
 “淑妃”と称された彼女を眺め、春蘭は半ば呆然(ぼうぜん)とする。
 兼ねてからの計画通り、太后によって正一品の側室に冊封(さくほう)され、満を()して後宮へ入内(じゅだい)したのであろう。

 立ち尽くす春蘭や項垂(うなだ)れる芙蓉のそばで足を止めた帆珠は、意地の悪い得意気な微笑をたたえ、壇上の太后を見上げた。

「事の次第は聞き及んでおります。女官の行動の責任は、その主にあるというもの……。罰であれば鳳婕妤に与えるべきですわ」

 彼女の登場から渦巻いていた嫌な予感は、案の定という具合に的中した。
 優位な立場と太后の寵愛(ちょうあい)を利用し、ここぞとばかりに春蘭を追い込んできたのである。妃選びの折の仕返しとでも言いたげなほど露骨(ろこつ)な態度だ。

「ちょっと待って……。当然そうするべきだけど、それなら芙蓉のことは許して。お願い」

「あーら、口のきき方がなってないわね。それに、頼む相手と態度が間違ってるんじゃないかしら?」

 帆珠は勝ち誇ったように笑った。
 思わず唇を噛み締め、両手を握り締める。背後で櫂秦が「春蘭……」と(うれ)うように呼ぶ。

 扇動(せんどう)するようなもの言いではあったが、今回ばかりは自業自得であることを春蘭自身も理解していた。帆珠の言葉は間違っていない。
 一度目を伏せ、観念して膝を折った。その場に跪き、太后に(こうべ)を垂れる。

「どうか、お願い申し上げます。罰はわたくしひとりにお与えください。どのような処遇も受け入れる所存です」

 切実な声色は、しかし決して揺らがなかった。
 ふ、と鼻先にかけるような笑みをこぼした太后は冷ややかに春蘭を見下ろす。

「……よかろう。そなたの誠意を買ってやる」

 それは決して“温情”などではないと、その場にいる誰もが理解していた。

「妾が許すまで、福寿殿の前で跪け。食事も抜き、不眠不休で自省するのだ。よいな?」

「……ご聖恩(せいおん)に感謝します、太后さま」



     ◇



 紫苑の顔から動揺の色が消える。
 騒ぐ(こずえ)のように波立っていた感情が凪ぐと、今度は非難するかのような険しい表情が浮かんだ。

「……何を、言っているのか分かりませんね。わたしはそのような者ではない」

「嘘です。僕は、あなたの優しい眼差しに見覚えがありました」

「…………」

「時が経って、状況も変わってしまったけど……。あの頃、ひとりで泣いてた僕に手を差し伸べてくれた、兄上の優しさは変わっていなかった。柊州で会ったときに僕を信じてくれたのは……“だから”なんでしょう?」
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