桜花彩麗伝

 どことなく気味の悪さを感じ、煌凌は逡巡(しゅんじゅん)してしまう。
 立場として“王妃”は、言わずもがな側室たちの上に立つこととなる。
 正一品といえど帆珠はあくまで側室であり、その身の上をもってしても正妃の存在を越えることはない。
 それは容燕にとっても不都合な展開であるはずだが、なぜかそれに関して頓着(とんちゃく)する素振りを見せず、妙な違和感を覚えずにはいられなかった。

「……よかろう。話してみよ」

 つい警戒を滲ませつつ、老臣を促す。
 謝意(しゃい)でも述べるかのように頭を下げた彼は再び口を開いた。

「恐れながらご明察(めいさつ)の通り、わたくしは早急に王妃をお迎えするよう主上に進言いたします。そして、それにあたっては────楚家の姫君、芳雪殿が相応(ふさわ)しいかと」

 当人と容燕、さらには元明を除き、(おみ)たちが一驚(いっきょう)(あらわ)にざわめいた。
 煌凌もまた瞠目(どうもく)し、意図を(おもんぱか)るべく秀眉(しゅうび)を寄せる。
 殿内は騒がしくなったものの、いくら待てど誰からも反対意見が表されることはなかった。
 ここへ来てようやく理解が及ぶ。その意味も、容燕に対する違和感の正体も。

 煌凌自身、芳雪のことは妃選びの折に目にした覚えがある。
 品行方正であり、家門の力に頼らず審査を勝ち抜いてみせた清廉(せいれん)さも(あわ)せ、容姿や人柄に問題はない。
 柊州の一件が解決へ向かったことで、没落(ぼつらく)の危機を迎えていた家門もまもなく再興するであろう。家柄も申し分ない。

 また、楚家は朝廷に参入してないため、正妃としてはうってつけと言えた。
 外戚(がいせき)として権力を振るうとも思えない。
 だからこそ、鳳蕭両家の確執には決して介入せず、中立な立場を維持し続けるであろう。

 それであれば、容燕や元明が特別反対する理由もない。
 彼らが束ねる派閥の臣たちも、いずれにも属さない発端の老臣(ろうしん)のような臣たちも、度合いによらず賛するほかなかった。
 ここで難色(なんしょく)を示せば、むしろ国の安泰を第一に考えない無能な奸臣(かんしん)であるという烙印(らくいん)を押されかねない。

「…………」

 煌凌は肘掛けの上で拳を握り締めた。
 反射的に宿った感情は、しかし王ではなく()()()ものである。
 誰もが己を最優先し、煌凌の心など顧みてはくれない。
 それは玉座へ座る代償であり、いまに始まったことではなかった。
 だからこそ、我を見失わないでいられる。無遠慮に、冷徹に突き放せる。

「……やはり戯言(ざれごと)だ」

 彼らの信望など端から期待していない。
 王を認めていないどころか腹の底で見下し、隙あらば都合よく操ろうと、そのために追い込んで苦渋(くじゅう)を強いようと、権謀術数(けんぼうじゅっすう)を巡らせる彼らは“臣”とは名ばかりの亡者でしかない。

 しん、と再び静まり返った殿内で、煌凌はそれぞれを鋭く眺めた。
 王として、煌凌として、決して揺るがない思いを口にする。これだけは譲れない。

「余にとっての妃はひとりしかおらぬ。たとえこの先、後宮に別な娘がどれほど入内(じゅだい)しようとも」
< 440 / 597 >

この作品をシェア

pagetop