桜花彩麗伝

 ────雪花商団や楚家の置かれていた窮状(きゅうじょう)のすべてや、春蘭や朔弦らの働きにより救われたことを、自身の言葉をもってして伝えておく。
 自分を王妃に、とする進言や上奏(じょうそう)があとを絶たないことも承知の上であった。

 春蘭と話したこともあってか、巫女の言葉が鮮明に蘇ってくる。

『それゆえに、ご自身の望みは叶わぬ運命です。しがらみに囚われ、損をなさりますが、大きなものを得られる可能性をお持ちです』

『それは不本意なものでしょうが、望むと望まざるとに関わりません。いずれ決断のときが来るでしょう』

 得られる可能性のある“大きなもの”は、ほかならぬ王妃の座のことであったのかもしれない。
 いまになってようやく、理解した。

「……わたしは、王妃にはなりたくありません。ただの願望ではなく、その座に相応(ふさわ)しいのはほかならぬ春蘭でしょう」

 迷いのない口調で芳雪は毅然と告げる。
 しばらく口を噤んでいる王を見上げ、そっと小さく微笑みかけた。

「王さまもそれをお望みでは?」

 やや気圧(けお)されたようであったが、答えなど聞かずとも十分であった。
 芳雪はまっすぐに見据え、静穏(せいおん)な声色で続ける。

「どうか、春蘭を守ってください」

 王の瞳が揺れる。動揺ではなく、ただ自身の役目を再認識し、強く意識するに至ったようだ。
 眼差しから(うれ)いを帯びたような色が溶け、決然たる顔つきになる。

「……ああ、何があっても守り抜くと約束しよう」

 そう頷いたのち、わずかに表情を和らげた。

「そなたと話せてよかった。今後、そなたを王妃に迎えることはないゆえ案ずるな。余の妃は────春蘭以外におらぬ」



     ◇



 それから瞬く間にひと月足らずの時が経過した。
 桜花殿の鏡池は相変わらず、穏やかな日和(ひより)静謐(せいひつ)に映し出している。

 庭院(ていいん)から伸びる橋を渡った先の中島にある池亭(ちてい)には、今日は別な人物の姿があった。
 進士式(しんししき)をつつがなく終え、王の許可を(もっ)て春蘭を(おとな)った“彼”とともに陶製(とうせい)の円卓を囲む。

 橋の手前の離れた位置から、ふたりを見守る紫苑は真剣な面持ちで、櫂秦は興味深そうな眼差しでそれぞれいた。
 茶の支度をした芙蓉が下がると、礼節を重んじる彼は上品な所作で蓋碗(がいわん)を運ぶ。
 端正(たんせい)な顔に変わらず優しげな微笑をたたえ、どこか遠慮がちに口を開いた。

「嬉しいです。姫さまとはもう、お会いできないかと思っていたから」
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