桜花彩麗伝

 控えめな言葉とは裏腹に、その行動は大胆なものであった。
 ────格式高い進士式が済むなり、春蘭に会う許可を自ら王に求めたという。

「……“榜眼(ぼうげん)”にて及第(きゅうだい)されたと聞きました。おめでとうございます」

 笑みとともに春蘭は告げた。
 “榜眼”は殿試において“状元(じょうげん)”に次ぐ次席での及第者を表す。すなわち二番目の好成績をおさめ、進士となったことを示していた。

 それだけでも美挙(びきょ)にほかならないが、文禪の性分を思えば、父を満足させるには至らなかったことであろう。
 首席である“状元”として及第しなければ、二位である“榜眼”でも三位である“探花(たんか)”でもさして変わりなく、淵秀の力量を認めないにちがいない。
 まったく身勝手なものである。果たして彼は笑みを崩さなかったものの、どことなく悲しげに見えた。

「ありがとう。縁故(えんこ)のようで恐縮なのですが、僕は父のいる戸部で登用(とうよう)される運びになりました」

 晴れて官吏として踏み出した一歩は紛れもなく自身の努力の賜物(たまもの)だが、傍目(はため)に眉をひそめられることも覚悟していた。
 それでも戸部を志願したのは、ひとえに父親を思ってのこと────百馨湯の一件でその欲深く狡猾(こうかつ)な本性を知り、いずれ暴走しかねないという危機感を覚えた。
 父の野望の“(たが)”として、制することができるのは自分のほかにいない。
 それこそが己の役目であると自覚したのであった。

「そうなのですか。公子さまの存在は、白尚書にとって良薬となるでしょうね」

 淵秀の双眸(そうぼう)がはっと見張られる。
 十まで語らずともいち早く真意を悟られ、驚くと同時に嬉しくなった。
 ふと、蓋碗(がいわん)を置いた春蘭は姿勢を正す。

「先の件ではお力添えを表明くださってありがとうございました。直接お礼に出向きたかったのですが、なかなか機を掴めず……」

「とんでもない、礼には及びません。僕はただできることをしたまでで」

 少し慌てたように言った淵秀は、思い返すように視線を流した。

「……屋敷で見つけた百馨湯は、こっそり疫病地(えきびょうち)に送っておきました。父は僕の仕業だとは気づいていない。どのみち手放すつもりだったらしく、気にとめなかったのでなんてことありません」

 その言葉の半分は本当で、半分は嘘なのではないかと、春蘭は直感的に思った。
 やはり彼は嘘が得意ではないようだ。
 実際には激昂(げきこう)した文禪にまたしても心ない罵声(ばせい)を浴びせられたか、あるいはもっと直接的な手段をもって(とが)められたのではないだろうか。

 痛いほど心苦しく、そして申し訳なかった。
 文禪のよこしまな野望の犠牲となっているのは橙華のみならず、実子である彼も例外ではないのだ。

 それでも、彼が戸部に身を置くことで走狗(そうく)としての利用価値を見出しているのであれば、しばらくは()の直撃を避けられるであろう。
 淵秀の健気(けなげ)な心意気と強固な信念を思うと、容燕のみならず文禪を許すこともできない。

 春蘭はおもむろに(たもと)に手を入れ、明々(あかあか)と輝く指輪を取り出した。橙華から預かった例の代物である。
 円卓に載せると、そのまま卓上を滑らせ淵秀に差し出す。

「白尚書に返しておいていただけませんか?」

「父に? これは……」

「お伝えください。“宣戦布告”だと」
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