桜花彩麗伝

第二十二話


 後宮を出た春蘭は、煌凌のいるであろう陽龍殿を目指し、しずしずと歩んでいた。
 先刻、桜花殿を訪ねてきた朔弦との会話を思い返しながら────。

『“余計なことをしでかして自らの首を絞めた愚か者”のせいで、蕭帆珠は勢いづいたな。蕭家を後ろ盾にしながら、太后の権威を笠に着てさっそく図に乗っている』

 う、と春蘭は言葉を詰まらせた。
 その愚か者は紛れもなく自分自身であり、強引な手段で何度も宮外へ抜け出したのは深く(かえり)みるべき事実である。
 朔弦が執拗(しつよう)に責めるのも無理はなかった。

『すみませんでした。本当にごめんなさい……』

 言い訳の余地もなく、叱責(しっせき)を受けた日のように平謝りをする。
 彼は鋭い眼差しで春蘭を見据えた。

『……それでも“二度としない”と言わないのは、堂にいる男のためか? それとも白家の哀れな公子(こうし)のためか?』

 確かにぎくりと心臓が強張ったが、春蘭自身にもどちらかなど分からなかった。どちらも、かもしれない。
 いずれにしても、彼の慧眼(けいがん)は本物だと改めて思わされた。
 実に恐ろしいほど何もかもを見透かしている。

『ごめんなさい』

 もう一度繰り返した。意地ではないが、春蘭にも譲れないものがある。
 特に守りたい、救いたい、という一途な念に駆られると決してあとに引かないことを、朔弦もよく理解していた。

『まあ、いい。いずれにしても今回のことで、太后も蕭帆珠も結託が容易(たやす)くなった。お陰で蕭家を落とすには色々と差し障る』

『わたしはどうやって対抗していけばいいんでしょう……。自分を守るばかりでも、それに囚われてしまっても、ここへ来た意味がないです』

『焦る必要はない。まずは標的を後宮に絞ることにしよう』

『というと……』

『蕭帆珠を追い落とす』

 彼女は単純だ。王の寵愛(ちょうあい)を一身に受け、権力のすべてを手に入れたいと望んでいる、自己中心的で感情的な女。
 朔弦は冷酷に目を細める。

『あの者を破滅に導くのは簡単なことだ。少し誘導するだけで自滅するだろう』

『え』

『そういう人間を操るのに最適な感情を知っているか?』

 怜悧冷徹(れいりれいてつ)な彼の言葉を慎重に咀嚼(そしゃく)する。
 問いへの答えを探り、思索(しさく)(ふけ)るが、彼はさして待つこともなく答えを口にした。

『“嫉妬”だ』

 我を忘れ、己を制御できなくなるような、何よりも厄介な感情である。
 ただでさえ気分屋で感情的な帆珠には、それを飼い慣らすことなど到底できない。
 瞬く間に醜い化け物と化し、ほどなく自身が飲み込まれる羽目となろう。

『そこで、おまえの出番だ』

『わたしの……?』

『手段は問わないし、あえて教えもしない。その“化け物”への餌をおまえが()いてみろ』
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