桜花彩麗伝



 ────明朝、桜花殿へ足を踏み入れた紫苑は絶句(ぜっく)し、硬直した。
 広々とした寝台(しんだい)で向かい合って眠るふたりの姿を、どう解釈して受け止めるべきか理解と感情が追いつかない。

「ん……」

 小さく身じろぎし、春蘭が目を覚ます。
 すぐ目の前にあった(まばゆ)いほど端麗(たんれい)な顔に仰天(ぎょうてん)し、息をのんで跳ね起きた。
 滑らかな枕や布団の感覚を実感し、天蓋(てんがい)(しゃ)が目に入ると、置かれたわけの分からない状況に心底困惑する。

(あれ……?)

 昨夜、長椅子から移動した記憶がない。
 それなのに、なぜこうして寝台で煌凌とともに寝ていたのだろう。
 いつの間に、どうやって、どうして────疑問が駆け巡る中、あることがひときわ大きく気にかかった。
 紫苑もまた、同じことを懸念していた。

「お嬢さま……」

「や、ちがう。何もなかったわ! 何もなかった、はず……」

 慌ててかぶりを振るが、記憶がないせいで語尾が弱くなる。

 その声で目覚めた煌凌は、夢うつつの状態で混乱を極める春蘭を捉えた。
 布団についているその腕を引くと、体勢を崩した彼女が「わ」と声を上げ、元のように隣へ倒れ込む。
 そのまま腕の中へおさめようとしたが、すかさず抵抗を食らった。
 ぐい、と押し返されてしまう。しかも、春蘭にしてはやけに力が強い────と思えば、煌凌を引き剥がそうとしているのは紫苑であった。

「寝ぼけてるでしょ! ちょっと、起きてよ!」

「……起きてる」

 見間違いでなければ顔を赤くしている春蘭に、煌凌はさらりと答える。
 悠々と起き上がり、寝台に腰かけた。

「尊いお身体に触れたことは謝ります。……非礼ついでに、お伺いしても?」

 紫苑は一見、冷静と見えたが、感情の尖りと戸惑いが態度の端々に現れており、普段の完璧な姿を思わせない。
 何となく見当をつけながら、煌凌はこくりと頷いた。

「お嬢さまと、本気で赤縄(せきじょう)(ちぎ)りを結ばれるおつもりなのですか」

「そうだと言ったら、そなたは止めるか?」

 驚くほど明瞭(めいりょう)で鮮やかな答えに春蘭は胸打たれた。
 紫苑もまた、意表(いひょう)を突かれたかのように一瞬言葉を失う。
 迷いも躊躇いもなく、相当な覚悟をもとに心を決めているのだと察するに余りある。そうと尋ねながら首肯(しゅこう)する余地もない。

「……いいえ、そのような」

「案ずるな、そなたの心情は理解しているつもりだ。生半可な気持ちで春蘭の夫を名乗る気はない」

 透き通るような、それでいて堂々たる笑みをたたえた煌凌は、そう言ってから春蘭に向き直る。
 依然として気圧(けお)されたように大人しくしている彼女に、ひときわ優しく微笑みかけた。

「……無論、春蘭のことは誰より“大切”に思っている。ゆえに決してそなたの心を(ないがし)ろにはせぬから、不安がらなくてよい」
< 449 / 492 >

この作品をシェア

pagetop