桜花彩麗伝

 こたびのことは偽装であり、一策(いっさく)に過ぎないが、所詮は偽りだと軽視できないほど重要な意味を持つ一手でもあった。
 朔弦は思索(しさく)(ふけ)りつつ目を細める。
 これを機に春蘭の立場をいっそう磐石(ばんじゃく)なものとし、いずれは王妃として迎えられるに不足のない手筈(てはず)を整えていかなければ。

「……春蘭。これからは特に用心するのだ」

「直接手出ししてくるか、食事に何か盛られるか……。毒でなく堕胎薬(だたいやく)ならば害はないが、証拠になるから見逃すな」

 いつになく真剣な面持ちで煌凌が言うと、朔弦が言を繋いだ。
 蕭家の走狗(そうく)に過ぎない文禪までもが暗殺を目論んだことを思えば、この一大事に蕭家そのものが、ほかでもない帆珠が黙っているとは思えなかった。

 春蘭はこくりと慎重に頷く。
 これは紛れもない契機(けいき)であり、好機でもある。帆珠という蕭家の切り札を打ち破るための前哨戦(ぜんしょうせん)にほかならない。
 朔弦による直接的な警告を、紫苑も真摯(しんし)に受け止めた。



 ────それぞれが下がり、ほどなくして夕餉(ゆうげ)の刻限を迎えた。
 給仕の女官たちが忙しなく動き、円卓の上には豪勢ながらも滋養(じよう)に満ちた料理が並んでいく。

 一度は下がった紫苑と櫂秦であったが、すぐに踵を返すと扉をわずかに開けた隙間から様子を窺っていた。
 相手が帆珠であれば、仕掛けてくるのも恐らく早い。
 抜け目のない良策(りょうさく)を練るほどの能も忍耐力も持ち合わせておらず、己の感情を優先させるであろう。

「…………」

 湯気の立つ汁物を運んできた女官は器の蓋を開けると、ふと警戒するように周囲を見回した。
 一見してほかの女官たちに溶け込んでいたが、どこか緊張気味な面持ちからは怯懦(きょうだ)な雰囲気が滲んでいる。

 春蘭が芙蓉や橙華との雑談に花を咲かせ、よそを向いているのを確かめると固く口を結んだ。
 やがて彼女が(たもと)に手を入れたのを捉えた紫苑は、弾かれたように勢いよく扉を開けた。

「動くな!」

 一瞬にしてその場に静寂が落ち、ほとんど反射的に全員が動きを止める。
 あまりの迫力に気圧(けお)され、くだんの女官も金縛りに遭っていた。
 つかつかと歩を進めた櫂秦が彼女の腕を掴み、袂から引っ張り出す。その手には薬包(やくほう)が握られていた。

「これ……」

 朔弦の言っていた通り、毒薬か堕胎薬なのではないだろうか。
 櫂秦が息をのむと、音もなく春蘭が立ち上がる。

「……帆珠に命じられたのね」

 事前に紫苑らふたりとは示し合わせておき、あえて隙を生んでいたのであった。
 毒薬であればともかく、堕胎薬は食事に混ぜ込まれても気づけない上、あとに証拠が残らない。
 そのため、かくして帆珠の手先が尻尾を出すよう仕向ける必要があった。
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