桜花彩麗伝

 蕭家の勢力を()ぐためとはいえ、嘘をついて騙したことは事実であったため、一発打たれるくらいは甘んじようかと思った。
 身を縮めはしても、避けも抵抗もしなかった春蘭の頬目がけて振り下ろされた手は、しかし届く前に煌凌が掴んで止めた。

「な……っ」

「身のほどを(わきま)えよ。そなたが気安く触れてよい相手ではない。ましてや手出しなど許さぬ」

 突き刺された冷たい眼差しに、帆珠はあからさまに動揺してしまう。
 ようやく間近で目にかかった王は、遠目に眺めるよりも遥かに眉目秀麗(びもくしゅうれい)端然(たんぜん)さが際立っていた。
 完璧な深窓(しんそう)の令嬢である自分にふさわしい────というのに、この侮蔑(ぶべつ)と拒絶の態度は何なのだろう。
 自尊心と矜恃(きょうじ)を深く傷つけられ、燃えるように頬に熱が走った。

「この女が……それほど大事なのですか。わたしを(ないがし)ろにするのは、蕭家の娘だから……?」

 激しく責め立ててやりたかったのに、放った声も言葉も自分で驚くほど弱くなってしまう。
 父が彼に対して高圧的に、専横(せんおう)な振る舞いをしていることは承知の上だ。それでも、自分は父とちがう。
 血の繋がりだけで一緒くたにされ、一方的に忌み嫌われるなどあんまりではなかろうか。帆珠の瞳に涙が滲んだ。

「……余は不器用なのだ」

 ややあって静かに返された言葉に愕然(がくぜん)とした。
 世界から色が消え、音が反響し、硬い石畳の上に力なく崩れ落ちる。
 ……一緒くたになどしていなかった。この方がよほど残酷な答えだ。
 優しい煌凌はそれでも帆珠自身を否定しなかったが、つまるところ中途半端な嘘はつけないということであろう。
 蕭家の娘であるゆえ以前に、心を得られない原因は帆珠自身にあるのだと突きつけられたも同然であった。

「異例ではあるが、朝議(ちょうぎ)にてそなたを冷宮に送る(めい)を下した」

「そんな……!」

 絶望感に打ちひしがれる心臓が早鐘(はやがね)を打つ。帆珠は青ざめた顔で息をのんだ。

 あばら家のように崩れかけた宮は夏でも凍えるほど寒く、あちこちに蜘蛛の巣が張り巡らされ、絶えず鼠が出入りしているという。
 煌びやかな衣を剥がされ、華やかな飾りも化粧も認められない。誰に会うことも許されない。
 食事は配されるがひどく(わび)しいものであり、小窓から運ばれるのみで、外へと通ずる扉も門も常に施錠(せじょう)されていた。
 罪人と大差のない粗末な扱いを受け、(はずかし)められる羽目になる。
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