桜花彩麗伝
「気がかりなこと?」
「太子さまがご存命の可能性です」
恐れ知らずな言葉に瞠目した悠景は大きく息をのむ。
煌凌は表情を変えなかったが、どこか縋るようにその瞳が揺れていた。
「まさか! 小説でも同じ結末を辿ってるぞ。ありえねぇだろ」
「そうでしょうか。以前から妙だと思っていました。太子さまのご遺体を見た者がひとりもいないのです」
竹林には確かに惨殺された女官や内官の遺体が重なり、連なっていたという。
しかし、太子の遺体は見つかっていない。彼だけが忽然と消え、のちに“野犬に食い荒らされた”などと囁かれるようになったが、それも不可解な話でしかない。
太子の生死を知る者がいないのに、その死を断定するような流言が事実としてひとり歩きしているのである。
「ならば……兄上は本当に生きていると?」
期待と不安の入り交じった様子で煌凌が尋ねる。
────実際、煌凌は理屈抜きで兄が生き延びている可能性をずっと信じていた。
誰にも何も告げることなく宮殿を抜け出し、独自に足跡と手がかりを追っていたのはそのためである。
兄が生きてくれてさえいればそれでよかった。
たとえば、そんな悲惨な目に遭わされた上、自分のものであったはずの玉座を奪ってしまった煌凌のことを恨んでいたとしても。
健気な煌凌の心情を悟りながら、朔弦は静かに目を伏せる。
「……確かなことは言えませんが、この“無名”なる人物に会うことができれば何か分かるやもしれません」
◇
蒼白な顔色の太后は、険相ながら不安気にその場を行ったり来たりと彷徨っていた。
悪寒に身を震わせるように上腕を抱き、がり、と親指の爪を噛む。
血が滲んだが、その痛みも感じないほどの憂いに支配されていた。
「どうすればよい……。あのような小説が出回っては、妾は終いだ……」
「落ち着きなされ」
容燕はあくまで泰然自若としていたが、まったくの冷静さを保っているわけではなかった。
帆珠が後宮での地位を失った以上、頼みの綱は太后のみである。
しかし、その立場までもが脅かされたとなると、容燕としても暢気に静観していられる状況ではない。
「よいですか、太后さま。まかり間違っても作者を探そうなどとは思われますな」
「なにゆえだ……。かような不届き者は捕らえて罰せねば、書物の内容を真に受ける者が出る」
「逆でしょう。無視するほかにない。頓着すれば、かえって関連を疑われることになりますぞ」