桜花彩麗伝

「太后は蕭家と手を組んでいる。厄介なのは蕭容燕です。このままでは薬材事件の二の舞になって(しま)いでしょう」

 それぞれの胸の内に苦い思いが広がる。
 蕭家の悪辣(あくらつ)さや狡猾(こうかつ)さを身に染みて思い知った以上、またも同じ徹を踏むわけにはいかなかった。
 不意に訪れたこのまたとない好機を、棒に振るような過ちは許されない。

「……そっか、そうね。時宜(じぎ)にかなうまで、今回のことはみんな心に留めておきましょ」

 ()いては事を仕損じるとも言う。太后の焦燥(しょうそう)を思えば、機が巡ってくるのはそう遠くないであろう。
 それぞれが毅然と頷くと、ややあって光祥が言った。

「僕のことは……王には黙っておいてくれないかな」

「え? だけど、煌凌は随分とあなたを慕ってたみたいだったわ。なのに……」

「ずっと、とは言わない。でも、すべてを明かすのはいまじゃない。このことも、あの子には折を計って伝えたいんだ」

 長いこと不安定であった玉座が、少しずつでもようやく磐石(ばんじゃく)になろうかという状況で、唐突に死んだはずの兄が現れたら彼はどう思うであろう。
 尚のこと慎重にならなければ、この事実は国の根幹(こんかん)を揺るがし、あらゆる前提を覆しかねない。

「……分かったわ。わたしの口からは何も言わないでおく」

 光祥の弟を想う機微(きび)や王を想う懸念を感じ取り、春蘭はそう告げた。
 彼はどことなく安堵したように緩やかに微笑む。

「ありがとう、春蘭」



     ◇



 たいそう不興な面持ちで苛立ちを隠そうともせず福寿殿を(おとな)った容燕は、椅子へ腰を下ろすこともなく太后を()めつけた。

「……なぜ言う通りにせぬのです」

 くだんの書の作者を探すような真似はするな、と確かに忠告したにも関わらず、すべてを無視する形で太后は独断で動いた。
 その動向があまりに必死であるために、訝しむ者も少なくない。
 恐らく敵方も同感であるはずだ。まんまと尻尾を掴まれたことであろう。

「申したではないか! あのような書の内容を信じる者が出たら、妾は築いてきたすべてを失う……。かくも胡乱(うろん)な書き手を野放しになどしておけるものか!」

「…………」

 冷静さと余裕を損なった金切り声を耳に、容燕は黙して目を伏せる。
 すぅ、と怒りが潮のごとく引いていき、叱責(しっせき)する気力が失せると、かえって落ち着いて物事に向き合うことができた。

 ────このままでは、太后と手を組んだ蕭家にまで(るい)が及ぶことになろう。
 かくも大事(おおごと)にしてしまった以上、くだんの書がただの小説などでないということは、皮肉にも太后自身が証明してしまった。
 ここが(わきま)えるべき引き際にほかならない。
 太后を切り捨てるにはいましかない。

 後宮を掌握(しょうあく)する(すべ)はほかにいくらでもある。たとえば、帆珠────娘が正妃となればそれだけで十分であり、もはや太后の存在など不要だ。
 どのみち、この窮地である。
 ここで太后を切って売れば、帆珠を後宮へ戻す口実を作り出すことすらできるかもしれない。

 踵を返した容燕は、人知れずほくそ笑んでみせた。
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