桜花彩麗伝

「今日のところは、わたしが陛下と謁見(えっけん)する。それでも構わないか?」

 洪内官はこくこくと懸命に頷いた。まさか異論などあろうはずもない。

「ぜひ、そうしてくださいませ。陛下もきっと喜ばれます」



     ◇



「────陛下。“お客さま”がお見えです」

 蒼龍殿での騒動を聞き及び、駆けつけようとしていた煌凌に取り次ぎの声がかかった。
 すぐに許可を下すと、粛然(しゅくぜん)と扉が開かれる。

 はっと息をのんだ。
 そこにいたのは“無名”もとい洪内官ではなく、ひとりの青年であった。
 目が合った途端、雷に打たれたかのような衝撃に貫かれる。

「兄、上……?」

 煌凌の口からひとりでにこぼれ落ちた声が空間に溶ける。
 彼のまとう王族衣装など見えていなかった。兄弟ゆえの第六感か、ひと目で十分であった。
 それほど長きにわたり、煌凌はこの瞬間を待ち望んでいた────。

「……久しぶりだね、煌凌」

 穏やかに名を呼ばれた瞬間、一気にあの頃まで時が戻った。
 込み上げた涙を瞳いっぱいに溜め、ふらりと踏み出した煌凌は兄に歩み寄る。
 恐る恐る手を伸ばし、触れた。幻などではないことを確かめるように。

「兄……上……!」

 感情が(せき)を切ったようにあふれ出す。気づけば子どものように泣きじゃくっていた。
 彼がどこかで生きている可能性を疑ったことはない。それでも、それはいつしか兄の無事を祈るための願望以上の意味を持つようになっていた。
 ()()()、煌凌は玉座に留まり続けたのだ。

「ずっと……兄上にお会いしたかった」

「それは嬉しいな。僕も、ずっときみのことが気がかりだったよ」

 幼い子をあやすように背を撫でながら、光祥は優しく言う。
 ────本当にずっと気にかかっていた。
 唐突に玉座を押しつけてしまうこととなり、底知れない孤独に突き落とされる羽目になった弟のことが。
 腹黒い奸臣(かんしん)傀儡(かいらい)として操られ、自身の存在意義すら見出せないのに、幼いながら頼れる者もなくたったひとりきりで戦うことを余儀なくされた。

 無責任にも姿を消し、死を装った自分を恨んだ日はなかったであろうか。
 すべてを捨て、宮外で“平凡”を望んだ自分が、いまさら兄の(つら)(てい)することは、正直なところひどく後ろめたかった。
 彼の味わってきた孤独も苦痛も、本来は自分が受けるべきであったのに、彼を身代わりにしたにほかならない。
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