桜花彩麗伝

「いままで、どこにいたのですか。どんなに捜しても、見つからなかった……」

 山賊に襲われた、というのも洪内官による嘘であったのだろう。王太子を守るための。
 だからこそ、そこから足跡(そくせき)を辿ろうと試みたところで何の情報も掴めなかったのである。

「……そうやってきみが甘えるから、見つからないよう隠れてたんだよ」

 心にもないことを口にして笑う。
 もしも王太子の生存が大々的に明かされれば、煌凌の座が(おびや)かされることとなる。
 会いにいこうにも行けなかった。生き延びたところで、戻る場所もなかった。
 いまとなっては、王太子の存在など邪魔以外の何ものでもない。

 ばっ、と慌てたように煌凌が身を起こした。寄りかかっていた力を戻し、頬を濡らす涙を拭う。
 念願の再会とはいえ、これではまたしても兄がどこかへ消えてしまうかもしれない。

「わたしは……けれど、兄上の弟です」

 煌凌は王たらしめる一人称も峻峭(しゅんしょう)な口調もあえて用いなかった。
 兄の前では、使う必要もなかった。

「……煌凌?」

「玉座ははじめから、わたしではなく兄上のものだった。どうか……わたしに代わって王になってください」

 本来の運命に従えば、王位を継ぐのは煌翔であった。
 彼の存命を信じていた煌凌は、だからこそ王に担ぎ上げられたとき、大人しくその座に就いた。
 当時、自分のほかに玉座を守れる者がいなかったからだ。

 いかに孤独で窮屈で苦痛であっても、そのすべてに甘んじて“王”という座にしがみついていたのは、半分は国のため、半分は兄のためであった。
 いつか、このときが来ることは分かっていた。
 あくどい連中から必死で守り抜いたこの椅子を、無事に兄へ返すまでは、何事も決して諦められなかった。
 それだけが、ひとり宮に留まった自分に与えられた、唯一の使命であると信じていたから。

「……ばかなことを」

 端麗(たんれい)な兄の顔から優しい微笑が消える。
 非難じみた声に、煌凌は不安気な表情になった。

「いまさら、わたしがそんなことを望むとでも? 玉座になど興味はない。弟を(おびや)かす存在でいたくないのだ」

「あ、兄上……」

「王がおまえだからこそ、忠誠を誓い、手を貸した人才(じんさい)がいる。朝廷も後宮も、既におまえを中心に動いている。それなのに、何ひとつ(かえり)みないのか?」

 その語り口は、幼い頃を思い起こさせる王太子のそれであった。
 柔和(にゅうわ)な微笑みと優しい心根(こころね)、堂々たる気高いもの言いや振る舞いをする兄が大好きだった。心から慕っていた。
 だからこそ、そんな兄からの厳しい言葉に強く胸を打たれる。長年の信念を打ち砕かれたに等しかった。
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