桜花彩麗伝

「だけど、わたしは……」

 王に相応(ふさわ)しいのは兄よりほかにいない。
 王位継承者として正当な世継ぎであった煌翔が王となれば、必要以上の政争(せいそう)も起こらず、文武百官(ぶんぶひゃっかん)の忠心を得られるのではないだろうか。
 惰弱(だじゃく)傀儡(かいらい)などという、不名誉な世評(せひょう)をも返上できるのではないであろうか。

「……わたしには、資格がない。兄上のためだけに玉座を守り続けていたわたしには、王だなどと(あが)められる資格なんて」

 煌凌は声を震わせながら言い直した。
 ただ、しばし玉座を借り、兄の戻る居場所を整えていたに過ぎないからこそ、このように中途半端な治世(ちせい)となり果てている。
 王たる資格がないと、誰より思っていたのは煌凌自身であった。

 いずれ降りることとなる玉座で、王の真似事をしながら兄を待ち続けていた。
 煌凌の役目はこれまでであろう。
 叶うのであれば王となった兄のそばでその役に立ちたいが、彼が望まなければすぐにでも王宮を出ていくつもりである。
 “大切”を手放し、再びすべてを失っても。
 最初から煌凌のものでなかったそのすべてを、兄の手に返すまでだ。
 それを寂しいと、嫌だと思うのは、わがままな未練にほかならない。

「……っ」

 つと、煌凌の頬を涙が落ちた。焼けるように喉が締めつけられる。
 それを認めた煌翔は優しげな微笑をたたえ、そっと拭ってやる。

「資格ならある。十分すぎるほど。……だから、おまえはひとりじゃなくなった」

 煌凌は顔を上げる。空っぽだと思っていた両手は、あたたかく満たされていた。

「わたしのためだけに玉座を守り続けていた? まったく、嘘も方便(ほうべん)だな」

「う、嘘などでは……」

「なら、その涙は何だ? おまえは昔から素直で正直な子だっただろう。それがおまえの本音なんだ」

 煌凌の瞳が揺れる。笑みを絶やさないまま、煌翔は言を紡いだ。

「おまえはとうに、王になっていた」

 それこそが本意であり、本望であると、彼の流した涙が物語っている。

 そもそも口にしたような消極的な理由のみで玉座に留まっていたのであれば、事なかれ主義で保身(ほしん)に走るのが賢明であろう。
 あえて蕭家や太后と敵対し、自身の立場を危ぶむ必要などなかった。

 それでも、煌凌がこれまで成してきた功や示してきた姿勢は、王たる所以(ゆえん)である以外に説明がつかない。
 “兄のため”だなどという遠慮を念頭(ねんとう)に置き続けなければ、彼を差し置いて玉座に就いたことへの負い目や引け目、罪悪感に耐えかねたのではないであろうか。
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