桜花彩麗伝

 当初、(まつりごと)に無関心な暗君(あんくん)を演じていたのも、容燕に真っ向から抗うことなく息を潜めながら耐え忍んでいたのも、彼が気弱で怯懦(きょうだ)ゆえではなかった。

 実際のところ煌凌の言行(げんこう)には実利(じつり)が伴い、王たるに何ら不足などないことに気づいている者も少なくない。
 だからこそ、彼を王と認める人才(じんさい)が力添えを惜しまない。
 いくら遠慮が前提にあれど、何事も“国のため”という信念を忘れたことのない、高潔(こうけつ)な人物であると分かっているから。

「…………」

 煌凌はしばらく言葉を失っていた。
 気づかないうちに、誰より玉座に囚われていたのは自分自身であったようだ。
 王でありたいと、望んでいた。
 “大切”なものを守り続けられるだけの力が欲しい。失う恐怖を味わわなくて済むように。

「……兄上は、わたしが恨めしくはないのですか」

 本来、彼のものであったはずの居場所を奪い、居座り続けることが心苦しく、俯いたまま小さく尋ねた。
 意表(いひょう)を突かれたように一瞬目を見張った煌翔がやわく笑う。

「それはわたしの聞きたいところだけど。……“王”なんて重々しい位を押しつけて、のうのうと自由に暮らしていたわたしが憎くはないか?」

 果たして煌凌は間を置くことなく首を横に振った。憎いはずがない。
 いまからでも玉座を返すことは拒まれてしまったが、いずれの意も汲んだ最善の選択を進んでしてくれたことは確かであった。

「よかった。じゃあ、もう泣かないで。立派な王さまなんだから」

 幼い頃のように頭を撫でられる予感がよぎったが、煌翔が手を伸ばすことはなかった。
 軽やかで親しみやすい語り口に戻っており、それが逆に煌凌の不安を煽る。
 また、いなくなってしまうのではないか────。
 今度見失ったら、二度と会えないような気がした。

「……兄上」

 思わずその腕を掴んだ煌凌は、彼に対する最後のわがままを口にした。



     ◇



「離せ! 離さぬか! 妾を誰と心得る、この無礼者ども……!」

 内官らに両腕を拘束されながら泰明殿へと連行されてきた太后は、半ば引きずられるようにして中央で(ひざまず)かされた。
 憎々しげに顔を上げたものの、飛び込んできた光景にはっと息をのむ。

 玉座に王、傍らに悠景や朔弦といった側近(そっきん)の姿。そこまでは常であるが、壇上には見慣れない男が堂々と立っていた。
 しかし、その面影には覚えがある。彼のまとう王族の衣装からして、間違いない────。

「そなた……まさか、恭仁王妃の……」

「ええ。あなたの差し向けた刺客に殺されかけましたが、母よりしぶとく生き延びましてね」

 怒りや憎しみなどといった感情を覆うような悠々とした笑みをたたえる煌翔に、太后の顔色は蒼白になった。
 わなわなと身を震わせ、信じられない思いで愕然(がくぜん)とする。

 生きていただけでなく、あらゆる真相はとうに承知の上であるようだ。
 どんな言葉で(つくろ)ったところで手遅れだ。
 真実を上塗りするほどの説得力や信憑性を帯びることはない。
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