桜花彩麗伝

 太后は厳しい視線を悠景と朔弦に突き刺す。
 蓋碗を手に取り、感情のままに床に叩きつけた。

 中に入っていた茶が飛び散り、朔弦のつま先を濡らす。
 彼はそちらを一瞥(いちべつ)したものの、一切表情を変えなかった。

 焦燥から癇癪(かんしゃく)を起こす太后の様相に、悠景は困り果てたように指先でこめかみを掻く。

 ちら、と至極冷静な甥に目をやった。
 基本的に()()使()()のは朔弦の役目である。

 太后とて、最初から悠景の返答に期待などしていなかったはずだ。

 朔弦はしかしながら、なかなか積極的とは言えない態度だった。

 策略を練るのも、敵の思惑を見破るのも、策士(さくし)である朔弦の右に出る者はそういない。

 余人(よじん)をもって代えがたい逸材ではあるが、太后の望むところに沿う意欲を見せない。

 賢い朔弦が、太后の意図や狙いに気づかないはずもないのに。
 つまり、単に無頓着(むとんちゃく)なのだ。

 悠景ほど太后の()をあてにしていない。
 太后の配下ではあるものの、叔父がそうだから従っているだけ、という不本意ぶりを隠そうともしていないのだ。

「────では」

 沈黙を貫いていた朔弦だったが、悠景の視線に促され、ようやく口を開いた。
 視線を上げ、まっすぐ太后を見据える。

「まずは、(ほう)家か(しょう)家……どちらの勢力につくかお決めください」

 太后と悠景が瞠目(どうもく)する。

 何らかの策を講じていることは予想にかたくなかったが、いささか想定とは異なった角度からの発言だった。

 ────鳳家と蕭家はいずれも王家に次ぐ名門家である。

 その昔、もともと戦乱の地であった玻璃国で敵を一掃し、国を開いた太祖(たいそ)がいた。

 ひとえに安寧を願い、民のために尽くした彼はのちに光玄王(こうげんおう)と呼ばれ“英雄”として語り継がれている。

 鳳家と蕭家はそんな彼を補佐した一等功臣(こうしん)の家系だ。
 その功績を讃えられ、彼らもまた英雄として広く知られている。

 光玄王はその昔、そんなふたりの功臣にそれぞれ家号(かごう)を贈った。

 鳳家は“彩鳳翔栄(さいほうしょうえい)”。
 蕭家は“蕭雅悠遥(しょうがゆうよう)”。

 それは、この上ない名誉と誇りを知らしめる事実であった。

 以来、両家はますます栄華を極め、他家の追随(ついずい)を許さない地位を確立することとなる。

 しかし、時代の流れた現在。
 建国当初から続く因縁は次第に確執(かくしつ)へと変わり、その溝はますます深まっていく一方であった────。
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