桜花彩麗伝
言いながら調子を取り戻したらしい院長はにやにやと笑い、短い顎髭を撫でた。
その瞳の下劣な色を見た春蘭は、呆れたように短く息をつく。
この男を見限る判断をしたのである。
「……そんな心持ちでは一切の救いようもないわ」
「まったくです。ここで一番下賎なのはあなたですよ」
後ろに控えていた光祥はたまらず吹き出す。
春蘭と紫苑から同時に詰められた院長は、顔を真っ赤にして憤慨した。
高貴なはずの自分が貶められた────しかし言い返そうにも言葉が見つからず、鯉のように口をぱくぱくさせるので精一杯だ。
「な、な……っ」
「時間の無駄だったようね。行きましょう」
踵を返した一行は、患者が治療を受けている方の屋舎へと戻っていった。
残された院長はわなわなと怒りに震えながら、その背を鋭く睨みつける。
「生意気な……!」
歯を食いしばり、苛立ちをぶつけるようにそばにあった柱を思いきり殴りつけた。
どんな道理があってこの自分が貶められなければならないのだ。あんな連中に侮られる筋合いなどない。
「鳳家が何だ……。あんな小娘、さっさと蕭家に潰されてしまえ!」
院長はそう吐き捨てると執務室へ戻り、当てつけのように勢いよく扉を閉めた。
「さっきは格好よかったです! すっきりしました」
医女は両手を重ね、春蘭と紫苑を賞賛した。
日頃からあの男には、あれやこれやと無茶な指図を受けたり、無理難題を押しつけられたりしており、こなせなければ罵詈雑言を浴びせられていた。
ふたりが言い負かしてくれたことに感激してしまう。
「本当、痛快だったよ」
光祥までおかしそうに笑いながら、指先で目のきわの涙を拭っている。
「とんでもない。あんなの序の口よ」
「ええ、早く悪行を暴いてここから追い出しましょう」
やることはいたって単純である。
人手不足を補うべく手伝いをこなしながら、院長の動向を監視する。
また、医女のつけている記録日誌も重要な証拠だった。
記録されている薬種の量や種類と施療院にあるものが合わなければ、それも院長を追い詰める材料になる。
そう考えたとき、ふと春蘭は違和感を覚えた。
「……でも、変よね。あなたが記録をつけてるなら、薬の数なんかが合わないことがばればれだわ」
実際、医女は受け渡しの現場を目撃する前に、既に記録とのずれに気がついていた。
「それも……あの院長なら納得できます」
紫苑がぽつりと呟く。
どういうことだろう、と思案する春蘭に答えを提示したのは医女だった。
「わたしたち医女は身分が低いですから。もしバレても表沙汰にはできないって見くびってるんです」