桜花彩麗伝

 確かに院長にはそのような節が感じられた。
 鳳家の娘である春蘭には仰々(ぎょうぎょう)しいほどうやうやしく接する一方で、医女や民のことは軽蔑(けいべつ)し見下していた。

 自分より身分の低い者は何の脅威にもならない、と考えているのだろう。あの態度はその腹の現れだ。

「……許せないわ」

 院長の傲慢(ごうまん)さも身勝手さも。ぎゅ、と拳を握り締めた。

「うん……。後悔させてやらなきゃね」

「ええ」

 光祥はその手を取り、そっと両手で包み込む。
 案の定と言うべきか、悲しいことに春蘭はものの見事に動じない。

 紫苑が鋭い睨みに咳払いを添えて制すると、その視線を感じ取った彼は逃げるように素早く離れた。

 それを気に留めることもなく、春蘭は思案顔のまま腕を組んだ。

「それにしても……院長側の動機は分かったけど、蕭家側には何の利益があるのかしら」

「そうなんだよ。蕭家の財力なら不正授受なんてしなくても、正規の方法でいくらでも入手できるはずだ」

 普段であれば、薬材など単価が特別高いわけでも稀少なわけでもない。

 ものにもよるだろうが、施療院にあるのは普通に出回っている薬種であるし、不正授受に回されたであろう薬も珍しいものではなかった。

「ただ……困窮(こんきゅう)した現状を思えば────」

 いまは“普段”とは異なっているのである。
 どことなくその目論見(もくろみ)全貌(ぜんぼう)が、霧の向こう側に見えてきたような気がした。



 ────すっかり日が落ち、辺りに闇が降り注ぐ。

 空は墨で塗りつぶしたように真っ黒だが、松明(たいまつ)のお陰で視界は明るい。
 その火の粉が宙に吸い込まれ、星となって昇っていくようだった。

 洗い物を終えた医女が前庭(ぜんてい)を通りかかる。
 何気なく顔を上げ、飛び込んできた光景に瞠目した。

「!」

 咄嗟に物陰へと隠れ、顔だけを出して様子を窺う。

 黒い(かさ)を深く被ったひとりの男が、院長に促されながらその執務室へ入っていくところだった。

 見るからに患者ではない。そもそもあの院長が直々(じきじき)()るわけもない。

 男が周囲を警戒するように見回したため、陰におさまるよう身体を引っ込めてやり過ごす。

 恐らくあの男は薬材の取り引き関連の何者かだろう。

 医女は院長室と反対方向へ駆け出す。
 屋舎の中へ飛び込むと、薬種や包帯をしまっていた春蘭のもとへ急いだ。

「お、お嬢さま! 大変です!」

 弾かれたように顔を上げ、春蘭は医女を見やる。
 ただごとではなさそうなその様子を認め、紫苑と光祥も歩み寄ってきた。

「いま、執務室に怪しい人が……!」
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