桜花彩麗伝

「……何だと? この妾に、臣下に(へりくだ)れと申すか!」

 語気を強め、眉を吊り上げる太后。
 矜持(きょうじ)の高い太后にとっては、何とも屈辱的な話である。

 敗北を認めることが前提であるとは、何たる戯言(ざれごと)だろうか。

 雲行きの怪しさを感じ取った悠景は、朔弦を庇うか、あるいは叱責(しっせき)するか迷ったものの、その答えが出る前に朔弦が頷いた。

 怯むことなく、淡々と言葉を続ける。

「左様です。太后さまが王を手懐けるなど、とても現実的とは思えませんから」

「なに?」

「実際、そう感じておられるのでは? ……あの王は腑抜(ふぬ)けではありますが、ばかではない。ですから、太后さまの手には落ちません」

 冷徹な朔弦の言葉に、さすがの太后も口を噤んだ。
 何とも礼儀知らずで不遜(ふそん)な態度である。

 しかし、それは何もいまに始まったことではなく、わざわざ咎める気にはならなかった。

 朔弦が単に生意気なのではなく、常に物事の本質を見抜き、何ひとつとして間違ったことを言わないからだ。

 太后は薄く笑った。ため息をつくようにせせら笑う。
 それでいて、どこか満足気である。

 ────確かに気がついていた。

 かつて自分と敵対した女の息子であるあの王は、その事実を知ってか知らずか、太后との間に一線を引いている。

 どれほど優しい笑みで歩み寄ろうと、決して心を開かない。

 打算や欺瞞(ぎまん)をすべて見透かしているように、同じような笑みで突き返される。

 ……そういう意味では、確かにばかではない。
 (まが)いものの慈愛は通用しない。

「ですから、手懐ける必要はありません。支配すればいいのです」

 朔弦の言葉に太后は思案顔で数度緩やかに頷いた。

 成り行きを見守っていた悠景は二人を見比べ、密かに息をつく。
 どうやら嵐の直撃は避けられたようだ。

 朔弦は声色を変えないまま続ける。

「現在、この国の朝廷(ちょうてい)は蕭家、そして鳳家の力が圧倒的です。蕭家の言うことに陛下は反論できず、また、最高位である宰相(さいしょう)の座には鳳家が就いている。双方を相手取ることは現実的ではありません」

 蕭家は出世欲や野心が強く、周囲に対して攻撃的な性質だった。

 一方の鳳家は、蕭家とは正反対の平和主義である。
 当主(とうしゅ)元明(げんめい)は争いを好まないものの、王の信頼が厚いのは鳳家の方であるため、蕭家にも引けを取らない力を有している。

「……そうだな」

 太后は大人しく首肯(しゅこう)した。

 両家と争ったところで勝ち目がないのは太后の力不足というより、両家が圧倒的すぎるからだ。
 とはいえ太后は、いずれは朝廷を牛耳(ぎゅうじ)り、王すらも自身の言いなりにしようと目論んでいた。

 誰よりも強大な権力を握る────。
 その大望を叶えるためには、蕭家や鳳家という障壁を打ち破らなければならない。
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