桜花彩麗伝
     ◇



 夜半(やはん)、医女に扮した春蘭は宮門前で供の紫苑と別れ、ひとりで宮中へ乗り込んだ。

 左羽林軍への道筋は皮肉にも朔弦のお陰で頭に入っているため、迷うことなくたどり着くことができた。

 ひょこ、と屋舎(おくしゃ)詰所(つめしょ)を囲う墻壁(しょうへき)から顔を出して様子を窺う。

「……!」

 何やら兵士たちが慌ただしく駆け回っていた。
 松明(たいまつ)に照らされるその姿をよく見ると、羽林軍の兵だけでなく錦衣衛も混じっているようだ。

  本来、羽林軍と錦衣衛は干渉し合わないはずだが、悠景や朔弦の投獄によって駆り出されたのだろう。

 素早く視線を振り向けてみたものの、煌凌らしき姿は見当たらない。
 かと言って踏み込んでいける雰囲気でもない。

 ふと小門に目をやったとき、その脇に立つ門衛(もんえい)に気がついた。春蘭は駆け寄っていく。

「ねぇ! あなたは羽林軍所属?」

 彼は心配そうに屋舎の方を眺めていたが、その声に我に返ったように振り向いた。

 やや童顔ながら、吊りがちな瞳が印象的な男だ。
 しかし、豊かな表情とあどけないような顔立ちのお陰か冷たい雰囲気はない。

「えっと……一応そうっすけど、ただの門番なんで末端も末端すよ」

 彼はそう答えたあと、(いぶか)しげに春蘭を眺める。

「それより、その身なりは……医女? 羽林軍に何か用すか?」

「わ、わたしはその、ちょっと知り合いを捜してて」

「知り合い?」

「そう、黎煌凌って人。ここにいるはずなんだけど……」

「レイ、コウリョウ…… ?」

 旺靖は難しい顔をして首を傾げた。

 ()りすぐりとはいえ羽林軍には兵が多く属しているため、全員の顔と名前を把握しているわけではない。まして門衛となれば尚さらである。

「初めて聞く名前っす。そんな奴いたかな?」

「……そう。ありがと」

 春蘭にもそんな事情が察せられたため、大して落胆せずに済んだ。

「そいつがどうかしたんすか?」

 長官と副官が反逆者として投獄された、という現状に彼はとにかく戸惑っていた。

 そのため門衛としての役割や兵士としての役目を全うすることを忘れ、排他(はいた)的な態度をとる余裕も損なっていた。

「……ううん、何でもないわ」

 そう答えたとき、松明の灯りで影が揺れる。
 羽林軍に立ち入っていた錦衣衛の兵たちが小門から抜け、引き揚げていくところだった。
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