桜花彩麗伝

「……なぁ、朔弦」

 悠景が声を潜めて呼んだ。

「何で(はな)から“蕭家と手を組め”と言わなかった?」

 朔弦の真意に気づいた上での問いかけだった。
 彼はわずかに顔を悠景の方へ向ける。

「その場合どうなるかはよくお分かりでしょう」

 悠景は返ってきた曖昧(あいまい)な答えに眉を寄せた。
 最初から蕭家との協力を提案していた場合、何か不都合でもあるだろうか?

 首を傾げつつ前を向いたとき、(くつ)の先に何かが当たった。
 カツ、と硬く甲高い音が小さく響く。

 先ほど太后が投げた、蓋碗の破片だった。

 その瞬間、朔弦の言葉の意味がすんなりと浸透していく。

 何かと懐疑(かいぎ)的な太后のことだ。
 いきなり蕭家との協力を進言したところで、素直に聞き入れるとは思えない。

 またしても癇癪を起こし、悠景たちは容燕の手先だと誤解されたかもしれない。
 想像に容易く、悠景は思わず苦い顔をした。

「いかがなさいます」

 朔弦が太后に問うた。
 太后はもの憂げな思案顔で、丸窓の木枠に触れる。

 その脳裏に、低く(しゃが)れたような()()の声が蘇った。

『誰も知らぬとお思いか』

 太后がいまより若く、権力より寵愛(ちょうあい)を欲していた頃の話だ。
 それでも毒蛇は、容赦なく太后の首を締め上げた。

「…………」

 再びせせら笑う。
 ……毒蛇の脅威を思い出した。

 いまは首元にいなくとも、すぐ背後で常に(きば)()いているはずだ。
 その恐怖をよく忘れられていたものだと、自分に呆れてしまう。

「太后さま、どうなさるんです!?」

 しびれを切らし、今度は悠景が尋ねた。
 太后は木枠から手を下ろす。

 ────蕭家には、容燕には、弱みを握られている。
 蕭家と対立すれば、容燕は間違いなく“あの件”を盾に脅してくるだろう。

 それならば、選べる道はひとつしかない。
 太后は決然と振り返り、朔弦に目をやった。

「そなたの言う通りにしよう。蕭家の側につき、鳳家の勢力を一掃する」

 その答えを聞いた朔弦は、用意していた二の句を継ぐ。

「でしたら、まずは妃選びを行いましょう」
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