桜花彩麗伝

 口裏(くちうら)合わせにきたのか、口封じにきたのか、莞永の言葉は恐らく正しいだろう。

 ただし下手に介入すれば嗅ぎつけていることを悟られ、結果として院長の死期を早めかねない。
 いまはただ、祈るほかになかった。



 航季の姿に気がついた錦衣衛の兵たちは、彼の前に立ち並んで礼を尽くした。
 それだけでものものしい雰囲気が漂う。

「連行された男の様子を見にきた」

 いかめしくそう言って踏み出すと、彼らは左右に退き道を空ける。
 航季は例の院長が拘束されている一室へずかずかと踏み込んでいった。

「こ、航季殿……」

 院長は分かりやすく動揺した。

 何をしにきたのだろう。捕らえられたことを咎めにきたのだろうか?
 航季の短気な性格を思い、痛い目に遭わされるのではないかと怯えてしまう。

 しかし────。
 先ほど莞永に聞いた話によれば、目の前にいるこの男は紛うことなき裏切り者である。

 媚びを売る価値もない。
 畏怖(いふ)の対象でもない。

 父である容燕の権力がなければ何もできないくせして偉そうに威張り散らすため、元より(かん)(さわ)る男だった。
 へつらうことに嫌気がさした。

「父上はおまえを殺さないそうだ。だが、尋問では蕭家の名を出すなよ。あくまでも謝悠景の指示だと言え」

(わたしを、殺さない……?)

 院長は瞬いた。
 莞永とのやりとりが頭の中でこだまする。

『蕭家はあなたを見捨てるでしょう。もとより医官に復職させるつもりなどなく、用済みになれば殺すつもりだったのです』

『う、嘘だ! そんな、まさか……』

『嘘ではありません。あなたを捕らえ、ここに連行するよう命じたのは────ほかならぬ航季さまですよ』

 はっ、と嘲笑するように院長は息をついた。

「またも私を騙そうとは……。図に乗るなよ、小僧風情(ふぜい)が」

 これまで気持ちが悪いほどに従順であったのに、突然反抗的な態度を取り始めた院長に、航季は面食らって目を見張った。

「……何だと?」

 苛立ったように眉をひそめ、院長を見下ろす。

 鳳家が後ろ盾になったと信じ込んでいる院長にとって、航季などもはや何の脅威でもなかった。

「おまえの言葉などもう信じない。いまさら何だ、悪事をばらされるのが怖くなったか!」

 揶揄(やゆ)するように高笑いする。

 かちん、と頭にきた航季は青筋(あおすじ)を立てる。
 両目を吊り上げ、感情任せに院長の頬を殴った。

 ドゴッ! と鈍い音が響き、その口端から真っ赤な血が滴る。
 がたん、と激しい音を立て彼は椅子ごと倒れた。
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