桜花彩麗伝
「辰の刻だと聞いてます」
「そう……」
ひとまず春蘭が宮中でできることはもうないだろう。
ここでの出来事を紫苑たちにも共有しておきたいし、一旦屋敷へ戻るべきだ。
「わたしはそろそろ帰ることにするわ。ここでの役目ももうないし」
「お送りします」
「大丈夫、宮門前で執事が待ってると思うから……。それより、ふたりにはお願いしたいことがあるの」
「お願いっすか?」
こく、と頷いて続ける。
「このまま錦衣衛を見張ってくれないかしら。尋問まで院長の命を守って欲しいの」
院長の証言は、悠景や朔弦を救う鍵である。
航季であれ誰であれ、錦衣衛に近づかせないようにしなければならない。
意図を汲んだ莞永は姿勢を正して頷き、旺靖はぐっと親指を立てて見せた。
「承知しました」
「俺たちにお任せください!」
頼もしいことこの上ないふたりに「ありがとう」と告げて踵を返したものの、ふとあることを思い出して足を止める。
「そうだ、莞永。煌凌がどこにいるか知らない?」
「へ……?」
莞永は一瞬気抜けし、直後に“煌凌”の顔が浮かんで混乱した。
「あの人、左羽林軍所属だって言ったくせにどこにも見当たらなかったの。今日だって本当は煌凌と話したくて来たのに」
「……え、ええと……」
どう答えるのが正解なのか分からず、返答に窮してしまう。
春蘭はどうやら“煌凌”を知らないようだ。
彼の方が嘘をついたのであれば、申し訳ないが莞永のとるべき最適解は明白だった。
「こ、煌凌……は、今日は早上がりでして」
困ったようなぎこちない笑みをたたえて答える。あたりが暗くてよかった。
「ああ、だからいなかったのね。でもあの人、ちゃんと働いてるの?」
「え?」
「宮外に出てばっかでしょ。山賊に追われてたり油売ってたり……」
莞永はますます苦い表情になる。そんなことをしていたのか。
「ゆ、優秀ですよ。……遊びほうけてるように見えるけど人一倍思慮深い方です」
「思慮深い……方?」
「あ、いえ! 思慮深い奴なんです、煌凌は! 心配いりません!」
わたわたと焦りながらもどうにか笑って誤魔化す。
芳名を呼び捨てにしたり“奴”呼ばわりしたりするたび、心の中で王に土下座していた。
「……そう?」
完全に納得できたわけではないものの、同僚である莞永が言う以上はそうなのだろう。ともかく合点はいった。
「?」
事情を知らない旺靖はふたりを見比べ、ただただ不思議そうに首を傾げるのであった。