桜花彩麗伝

 その様を想像したのか、さっと医女の顔が青ざめる。

 航季にとってはここが神聖な宮中であることなど関係ないのだろう。
 もし再び彼がここへ現れようものなら、錦衣衛は伏魔殿(ふくまでん)と化してしまう。

「そうか……。それは困ったな」

「どうかご心配なく。尋問まで我々がそばについて、ここで護衛することにします」

 的確な申し出に元明は頷いた。

「それが最善だね。きみたちに任せるよ」



 ────蒼龍殿へ向かうその後ろ姿を見送っていると、足元でごそごそと衣擦(きぬず)れの音がした。

「ふわぁ〜あ……」

「おはよう、旺靖」

「……あれ。俺……ここは……」

 寝ぼけ(まなこ)でのそりと起き上がると、不思議そうな顔できょろきょろとあたりを見回す。

「錦衣衛の小門前だよ」

「……はっ、そっか! すみません、寝落ちして」

 昨晩の出来事や現状を思い出し、一気に覚醒した。
 大慌てで立ち上がるが、足が痺れていたせいでたたらを踏んでしまう。

「大丈夫? そんな焦らなくて平気だよ、特に問題も起きてないし」

「……あの、この医女は────」

「重要な証人。宰相殿が直々(じきじき)に連れてきてくれたんだけど、錦衣衛は危険だから僕たちが護衛しようと思って」

 視線を向けられた医女はどこか緊張気味に頭を下げる。

「はー、なるほど……って、え? 宰相殿がここにいらしてたんすか!?」

 こともなげに「うん」と頷かれ、唖然とした旺靖の顔から血の気が引いた。

「や、やばい……どうしよう。宰相殿の面前で爆睡しちゃってた」

「はは、大丈夫だよ。疲れてるんでしょ。土汚れがついちゃっただろうし、一度着替えに戻ってもいいけど」

 旺靖は莞永の気遣いに感激した。瞳を潤ませながら勢いよく一礼する。

「ありがとうございます、莞永さん! すぐ戻ってくるんで!」



     ◇



「主上、まもなく辰の刻(午前八時頃)です。尋問場へ参りましょう」

 蒼龍殿にて、容燕は王に呼びかけた。

 昨晩の航季の報告によれば容赦なく脅したそうなので、院長の証言内容に心配はいらないだろう。

「……うむ」

 夜通し思案してみたものの悠景らを救う手立てが見つからず、煌凌は重く暗い頷きを返すほかなかった。

 再捜査を命じる名分(めいぶん)もなく、触れ文の実行犯の自白を覆す物的証拠もない。

 たとえあったとしても、蕭家の手にかかれば既に消されていてもおかしくなかった。いまのいままで何の報告もない以上、その可能性は高いと言える。

 容燕が抱き込んでいるであろう施療院の院長の尋問も、公開尋問に持っていくのが精一杯で止められはしなかった。

「…………」

 このままただ成り行きに身を任せ、悠景たちが処刑されるのを黙って見ているしかないのだろうか。

 悔しく、情けない。
 きっと彼らはいま、それから首を()ねられたあとも、王を恨み続けるにちがいない。
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