桜花彩麗伝

 旺靖が言い終わらないうちに、突き刺すような視線を感じて顔を上げた。
 そちらを向くと、航季が静かに佇んでいる。

「し、蕭尚書……」

 ひび割れた声で呟くと、医女はおののいたように息をのんだ。

「ま、間違いありません。あの夜、施療院で見たのはこの方です」

 細い声ながら確かにそう言を(つむ)ぐ。院長と(かい)していた“若さま”と目の前にいる彼の顔が重なった。

「…………」

 血走ったような双眸(そうぼう)で医女を捉えた航季は、歩み寄る傍らで剣の(つか)に手をかける。
 正気を失っているようなその様を見て、莞永は警戒と緊張を滲ませた。

「……おい、これは何のつもりだ? 莞永」

 余裕ぶって口角を持ち上げる航季が、すぐさま剣を抜くことはなかった。

「……報告が遅れて申し訳ありません。今回の一件の真相を暴く証人を連れて参りました」

 医女を背に庇い、莞永は毅然(きぜん)と返す。がたがたと震える旺靖も縮こまってその背に隠れた。

「そうか、ご苦労だったな。ではその者をこちらへ渡せ」

「!」

 莞永は眉根に力を込める。
 信用できるわけがなかった。人知れず始末するつもりに決まっている。

「何だ? 早く引き渡せ。錦衣衛で正式な手続きを踏まなければ証人とは認められないぞ」

 そのことは承知しているが、医女をひとりきり差し出すわけにはいかない。

 航季が敵であることは言わずもがな、宮中の兵は全員が彼の管轄下(かんかつか)、つまりその手中(しゅちゅう)にあるのだ。
 ここで引き渡せば、彼女を丸腰で戦場へ送り込むも同然である。

「……わたしも行きます」

「なに?」

「証言までの間、責任を持ってわたしが彼女を護衛しますから」

 航季の顔から笑みが消えた。表情を強張らせ、苛立ったように眉をひそめる。

「……ふざけるな。それは羽林軍であるおまえの仕事じゃない」

「ですが────」

「職務怠慢(たいまん)か? それとも上官に逆らうつもりか?」

 莞永は悔しげに唇を噛み締めた。暴論とも言いきれないことが余計に悔しい。
 そう言われてしまうと、立場上(あらが)うことができない。

 莞永が口を(つぐ)んだことで余裕を取り戻したのか、航季は再び冷笑をたたえた。

「おまえの尊敬して止まない謝朔弦が捕らわれたのだから気が気でないよな。……もしや、おまえも同じ目に遭いたいのか?」

「……!」

「分かったなら務めに戻れ。莞永も、そこにいる先ほどのおまえも」

「待ってください、蕭尚書────」

「あ、あの……」

 どうにか食い下がろうとしたところ、意外なことに医女が口を開いた。
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