天才外科医は仮初の妻を手放したくない
婚約者
ポトフが煮込まれて、ちょうど食べごろになったころだった。
陽斗の携帯電話に一本の電話が入ったのだ。
どうやら病院ではないらしい。
陽斗の声のトーンがやけに低くなったのだ。
電話が終わると陽斗は大きな溜息をついたのだった。
「澪、本当に申し訳ないが、父さんから連絡なんだ。意味がよく分からないけど、今から澪と二人で家まですぐに来るようにと言っている。断るといろいろ厄介な人だから、澪も準備してくれないかな。」
「はい、わかりました。」
私はポトフの火を止めて、急いで着替えをすることにした。
陽斗のご両親に会うのだから、失礼の無いように紺色のワンピースを選んだのだ。
キッチンで飲んでいたアイスコーヒーのグラスを、片付けておこうと思い持ち上げた時だった、手が滑りグラスはガシャンと大きな音を立てて割れてしまったのだ。
私は慌ててその欠片を拾おうとすると、指にピリッとした痛みが走りその指からじわりと血が滲むのだった。
「澪!大丈夫か?」
陽斗が音に気付いて駆け寄ってくれた。
私の人差し指から血が出ていることに気が付いたようだ。
「澪、血が出ているではないか、今すぐ消毒薬を持ってくるからな。」
陽斗は手早く切れた指を消毒すると、そこにガーゼを当ててクルクルと包帯を巻いてくれた。
「陽斗さん、忙しい時に申し訳ございません。」
すると陽斗は私の包帯が巻かれた指に優しく口づけをして微笑んだのだ。
「俺は何があっても澪が一番大切なんだ。そんなに謝らないでくれ。」
陽斗の優しさはとても嬉しい。
しかし、なぜかは分らないがとても不吉な予感がしたのだ。
この予感が当たって欲しくはないと願ってしまう。