天才外科医は仮初の妻を手放したくない
西園寺家
船がだんだんと沖に出て島から離れた時、陽斗が私の方を向いた。
「澪、ありがとう。俺は情けない男だな、澪に言われて今やっと目が覚めた気がする。親父に対して意地になっていたんだよ。これではまるで反抗期の子供と同じだな。」
「喧嘩をしていても親子なんですから、私は後悔して欲しくなかっただけです。」
「澪、ありがとう。」
陽斗が病院に到着すると、外科医の大久保が陽斗に向かって走って来たのだ。
「西園寺、もうお前にしか助けられないんだ。お父さんは動脈瘤が破裂してしまっている。俺達ではもう手出しできないが、お前なら助けられるかも知れない。」
陽斗は大久保の話を聞くと、私の手をいきなり握った。
「澪、俺は親父を絶対助ける。待っていてくれ。」
「…はい。私は信じていますから大丈夫ですよ。」
陽斗は一度大きく頷くと、急いで走って行ってしまった。
私はもう祈ることしかできない。
私はもう誰もいない病院のロビーで椅子に座った。
少ししてカツカツカツとロビーに誰かが向かってくる足音が聞こえて来た。
この音はハイヒールの足音のように聞こえる。
向かってきたのは、整形外科医の早乙女だったのだ。
私の頬を叩いた女性だ。
早乙女は勢いよく私に近づくと、ドカッと大きな音を出して隣の椅子に腰を下ろしたのだ。
早乙女は、驚く私の方は見ずに、そのまま前を見て話しを始めた。
「完全に私の負けだわ。陽斗はあんたのために全てを捨ててあんたを守ったのよ。」
「そ…それは…」
私が声を出そうとした時に早乙女は私の言葉を遮った。
「もう、今の陽斗に興味はないわ。だから安心してもうあんたに嫌がらせしないから…それと…以前に悪かったわ…それだけが言いたかっただけよ…じゃあね。」
早乙女はそれだけを言うとすぐに立ち上がり、カツカツカツと音を立てて颯爽と行ってしまったのだ。
以前は恐い女性だと思っていたけれど、とてもカッコいい男前な女性なのである。
私は彼女の後姿を見送って、自然と口角を上げたのだった。