一途な脳外科医はオタクなウブ妻を溺愛する
プロローグ
「きみは、あの時の……」
真夏の蝉時雨の中、私は人生最大のピンチに陥っていた。
目の前には、職場でいつも私を優しく教え導く、指導医の姿。
その瞳には、【困惑】のふた文字が浮かんでいる。
……絶対に見られてはいけない相手だった。
普段の私は品行方正とまでは言わないけれど、真面目な専攻医で通っていると思う。
しかも、院長と外科部長の娘。まさか、こんな格好をする趣味があるだなんて、誰も思っていないだろう。
ツインテールがぴょこんと跳ねたピンク色のウィッグに、ふんわりとボリュームのあるミニスカートが目立つコスチューム。
ハート型のポシェット。白いレースのレッグカバー。厚底のストラップシューズ。
少女時代に心奪われていたアニメに登場する魔法少女――その衣装に身を包み、本気でキャラになりきっているだなんて。
「アンズ氏、知り合い?」
頭が真っ白になる中、同行していた友人があろうことか私の名前を呼んでしまう。
暑さのせいで浮かんだわけではない汗が、つうっと背筋を伝った。
完全に、積んだ――。
このことが父と母にバレたら、私は生きていけない。
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