一途な脳外科医はオタクなウブ妻を溺愛する
専攻医小田切杏の秘密

「呼吸。また止まってる」

 オペ室に響き渡る、冷静沈着な執刀医の声。状況が状況だけに不吉にも思える言葉だが、息が止まっているのは決して全身麻酔で眠る目の前の患者ではない。

「は、はいっ、すみません……!」

 すう、はぁ、すう、はぁ。

 慌てて深呼吸をしたのは、助手として執刀医の傍らにいる私だ。目の前で繰り広げられる大胆かつ繊細な顕微鏡手術に圧倒され、つい呼吸を忘れていた。

 専攻医一年目、小田切(あんず)。複数の診療科をローテーションで回る研修医の時期を終え、今年から脳外科専門医を目指すための研修プログラムに入った二十六歳。

 脳神経外科に定評のあるここ『小田切総合病院』は私の父が経営しており、また母も現役の脳外科医として勤めている実家のような場所である。

 しかしもちろん、研修場所にここを選んだのは両親に甘えるためではなく、研修プログラムの内容に魅力を感じたからだ。

「よく見ろ。これが外頸(がいけい)動脈。こっちが内頸(ないけい)動脈。そして総頸(そうけい)動脈」

 オペ中にもかかわらず丁寧に説明してくれているのは、指導医の千石柊二(しゅうじ)先生。

 三十三歳にして天才脳外科医と呼ばれ、うわさを聞きつけた患者が全国からこの病院にやってくる。

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