旦那様に腐女子小説家だとバレてはいけない!
19話 世に出る瞬間
旦那様に対して抱いている気持ちに気づいてから数週間が経った。とはいえ、相変わらず旦那様とはすれ違っていて、顔すら合わせることもできていない。
「自覚しても、これでは意味がないわね……」
旦那様と気持ちを通じ合いたいわけではない。きっと彼は、私のことはお飾りの妻としか見ていない。この恋心を打ち明けたいとは思わないけど、密かに想うことは許されたい。
もう少しでいいから、旦那様のことが知りたい。
あれから何度か旦那様の様子を聞いたけれど、首を横に振られるだけで、何もわからないままだった。なぜ私を避けるのかわからないけど、それでも恋の自覚をした後に彼に避けられているというのは、なかなかにしんどい気持ちになる。
(でも、今日は切り替えなければ。今日はいよいよ私の書籍が発売される日だもの)
アメリアはここ数日、あまり眠ることができなかった。あと一週間経てば、あと三日経てば、明日に目を覚ましたら、自分の書いた本が出版される。そんな気持ちで緊張してしまい、なかなか眠ることができていなかった。
とはいえ、アメリアが何かする必要はない。本が発売されるとはいえ、彼女にできることは何もなく、ただただ待つことしかできない。
「どうしましょう、本屋にでも行って様子を見てみようかしら……」
どうしても気になってしまう。
自分の本がどのように並べられているのか、手に取ってくれる人はいるのか。それがどうしても気になってしまう。
すでに新聞の方では小説の宣伝をしてもらっているため、興味を抱いた人はいるかもしれない。
【新たな風を吹かせる、期待の新人作家。新しい恋物語に、きっと貴方も魅了される】
そんな宣伝文句が新聞に書かれており、思っていたよりも大きく宣伝されていたことには驚いたが、嬉しいという気持ちは強かった。
「……リリー。悪いのだけど、今から出かけてきてもいいかしら?」
「もちろんです! 私もぜひ、一緒に行きたいです」
にこにこ笑いながら、リリーもどこか落ち着かない様子で言った。
どうやら、リリーも気にかけてくれているらしい。なんだかくすぐったい気持ちになるが、嫌な気持ちではない。
出かける用意をし、リリーが馬車の手配をしているのでそれを待つ。
「……ここまで、早かったわね」
気づけば、なかなかの時間が経過していた。
季節もだいぶ変わって、あと一つ季節を越えればあの日から一年が経過する。
私の人生がもう一度始まったあの日から、全てが変わった。後悔しないようにと、手に取った一冊の本をきっかけにここまで大きく、人生が変わるだなんて思ってもいなかった。
自分の夢が叶う瞬間というのは、あっという間で現実味はまるでない。それでも、この夢を叶えたのは紛れもなく自分だ。あの時に行動を起こして良かったと、心から思う。
「奥様、お待たせしました。馬車の用意が整いました」
「ありがとう」
数回のノックのあとに、リリーが知らせに来た。
部屋を出て、玄関へと向かう。
(やっぱり、いないわよね)
もしかしたら、旦那様がいるんじゃないかとほんの少しだけ期待をしてしまったが、そんな偶然は起こらなかった。
考えてみれば、何度も玄関ですれ違う方がおかしいだろう。
少しだけ寂しいと思った気持ちに気づかないフリをして、馬車に乗り込む。近くの本屋に行きたいと指示すれば、御者が馬を引き始めた。
「奥様の本、いよいよ発売されるんですね」
「ええ、そうね。なんだか落ち着かないわ」
「私もなんだか夢心地な気分です。どんな本なのか楽しみです」
「あ……」
そういえば、リリーには自分の作品を読ませたことがない。
片付けやサポートをしてくれた彼女に、自分の作品の趣旨すら話していなかったことに気づき、なんともいえない罪悪感に襲われる。
「私、今日はお金を持ってきたんです。奥様の本を買うために」
「え……?」
「奥様の本が出版されると聞いた時から、絶対に自分で買おうと考えていたんです。だからすごく、楽しみです」
心の底から、楽しみであると伝えられているような素敵な笑顔だった。その笑顔が、さらに私の罪悪感を刺激するけど、悪い気持ちにならない。むしろ嬉しい。
「でも、買ってもらうなんて申し訳ないわ。私がリリーのために買うわよ」
「それじゃあ意味がないんです! 私は、奥様の頑張りを一番近くで見てきました。その頑張りに多くの貢献できるわけではありませんが、絶対に自分で買います! こればかりは譲れません」
「……ありがとう、リリー」
リリーとも、こういう関係になれたのも本当に良かった。
過去に戻ってきたばかりの頃はリリーからの信用もなくて、私は主人としてあまりにも未熟だった。今もまだ完璧ではないが、それでもついてきてくれるリリーには感謝してもしきれない。
もう一度「ありがとう」と伝えれば不思議そうに首を傾げながら「いいえ!」と答えた。
馬車が本屋に到着した。
ドキドキとしながら馬車を降りて、本屋へと足を踏み入れる。なんとそこには、ソフィアの姿があった。
「ソフィアさん?!」
「あ、アミーさん! お疲れ様です」
「お疲れ様です。まさかソフィアさんがいらっしゃるなんて……」
「今日はアミーさんの本の発売日ですから! 見てください、ほら!」
ソフィアが指を指した先には、平積みに積まれた本たち。
そこにはアメリアが書いた作品も置かれており、ポスターも飾られている。
「せっかくなのでポスターも作ったんです。宣伝効果もあったとは思いますが、このポスターのおかげもあって、売り上げも良いそうですよ」
「ほ、本当ですか」
「はい! 滑り出しはとても好調に思えます」
ソフィアさんが力強く語っている横で、リリーの方をチラリとみればそわそわとしながら目を輝かせていた。
「奥様! 本当に、本当におめでとうございます……! 私、一冊買ってきますね!」
そう言った瞬間、リリーはすぐに一冊を手に取って会計へと行ってしまった。嬉しそうに本を抱えて会計へと向かったリリーに対して微笑ましいと思うと同時に、どうしようもないくらいの歓喜の気持ちが湧いてくる。
自分の本が店に並び、人の手に渡っている。
こうして見ている間にも数人の人が足を止め、会計へと進んでいる。その情景を見るだけで心臓は高鳴っていった。
「ソフィアさん、本当にありがとうございます。貴方の提案がなければ、私の作品は世に出ることはなかったかもしれません」
「そんな! 私の方こそ、ありがとうございます。素敵な作品に関わることができて、光栄です」
お互いになんだか照れくさいような、そんな空気が滲んでくる。
会計を終わらせたリリーが戻ってきたので、名残惜しいと思いながらもソフィアに挨拶をし、本屋を出た。
もう少しあの空間にいたかったが、何も買わないのに長くいるのも迷惑になってしまう。そして、もし作家が自分であるとバレ、そこから私の正体がバレてしまえば元も子もない。
家に戻り、自室へと戻る。
堅苦しい外出用のドレスを脱ぎ、部屋着に着替えるとどこか心が落ち着く。でも、やっぱり心臓はドキドキとしたままだった。
今日、本屋に行って良かったと思った。どうしても不安はあったものの、実際に売り場を目で見て、本を手に取ってくれた人たちの様子を見たことで、体の奥から「書きたい」という気持ちが強く出ている。
「リリー、今から執筆するから休んでて」
「かしこまりました、奥様。……あの、奥様の本を読んでいてもよろしいでしょうか?」
ずっと気になってしまって、とリリーは言った。
目の前ではないとはいえ、近くで自分が書いた本を読みたいと宣言されると気恥ずかしい気持ちになる。
「もちろんよ。何かあったら呼ぶかもしれないけれど、気にしないでほしいわ」
「ありがとうございます、奥様。それでは、その前に紅茶を淹れますね」
「ありがとう。リリーも何か好きなのを飲みながら読んでね」
「ありがとうございます!」
リリーは嬉しそうに答え、すぐに部屋を出ていった。
読み終えた時に、感想でも聞けたら嬉しい。そんなことを考えながら、私は机と向かった。