旦那様に腐女子小説家だとバレてはいけない!


「奥様、おはようございま……ッ⁈」
「あら、リリー。おはよう」
「奥様⁈ もしかして、寝てないんですか?」
「気づいたら朝だったわ」

 アメリアはにこにことしながら答えた。
 彼女は机に向かい、右手にペンを持ちながら文字をひたすら書いていた。多く用意されていた手紙サイズのような紙はほんの少ししか残っておらず、床には文字でびっしりの紙が散乱とし、机の上には小説本や辞書が数冊ずつ積み上がっていた。

「夢中になっちゃったのよ」

 リリーは呆然とした。アメリアは一睡もしていないというのに肌艶は良く、目は輝きをもっていた。事情を知らない人がアメリアを見たら、良い夢でも見たのだと思うだろう。
 アメリアは腕を上にあげて伸びをし、首を数回まわした。キリが良いのか、彼女は立ち上がって床に散らばった紙を拾うためにしゃがんだ。それを見たリリーも動き、二人で床中に散らばった紙を拾い集めた。

「奥様、一体なにを?」
「ただの趣味よ。初めてだったけどとても楽しいわね」

 趣味、と言うにはあまりにも異常な量だ。拾い集めた紙を束にしてみれば一冊の小説くらいの厚さがある。一晩でこれを書いたことも不思議だが、とても初めての人が書いたようには見えない文章量と内容に思えた。
 アメリアは昨晩読んだ本に大きく影響されていた。まるで、生きがいでも見つけたような感覚だった。生まれて初めての感動、ときめきが体中をめぐり、居ても立っても居られずに彼女はペンを握りしめたのだ。いくら感化されたとしても、ここまで行動に移せる人は少ないだろう。
 彼女が読んだ本は、男性同士の友情が強く描写されていたものだった。本来であれば「相性の良い探偵とその相棒が謎を巡る物語」と思うのに、アメリアはその探偵と相棒の関係性に打ち抜かれた。もちろん、推理小説であるからか内容も凝っており、読んでいる人を引き込ませる力や展開の組み立ても十分によかった。それが更に探偵と相棒の関係が引き立たせており、この作品を読んだ一部の人はアメリアと同じ感情を抱いたに違いない。

「そろそろ朝食の時間よね」
「はい。なので用意を……」
「手伝ってくれてありがとう。早速着替えましょうか」
「ですが奥様、その……一度シャワーを浴びた方がよろしいかと」

 リリーの言う通り、アメリアはシャワーに入った方が良いほどだった。インクが手だけではなく、顔にもついていて、髪も途中でアメリア自身で結んだせいか乱れている。とてもじゃないが、着替えただけではウィリアムの前に出ることは許されないだろう。

「……そうね。悪いけど、お願い」
「かしこまりました! すぐに用意してまいります」

 リリーは忙しなく動き、シャワールームへと向かった。その間にアメリアは先ほどまとめたばかりの紙の束を見つめ、不思議な気持ちになりながら書いていた時の気持ちに余韻を覚えていた。

(まさか、こんなに書けるなんて思わなかった)

 もう少し書き足せば、小説本を出せるほどの量だった。ちゃんとした原稿用紙に書いていないからどこかに持っていくことや提出をすることはできないが、それでも文字量は十分だった。
 アメリアは、これほど物事に集中した経験はなかった。貴族としての勉学をした時もここまでの集中力はなく、本を読んでいたとしても途中でお茶を飲んだり、休憩を挟む時もある。それにも関わらず、彼女は一晩休むことなくひたすらに文章を紙に書き込んでいた。
 アメリアは侯爵とその秘書の物語を書いた。その侯爵は仕事一筋で跡継ぎのために結婚をしろと周りに言われても頑なに結婚をせず、仕事に打ち込むような人。厳格である侯爵とは反対な、少し犬のような可愛らしさや愛嬌を持つ男性秘書を中心の登場人物として書き綴った。推理小説のような展開はないが、二人で経営難になった飲食店や商店を立て直すため、そういった苦難を乗り越えながらも仕事をする話だ。
 正直、出版社に持っていったところで採用をされるような内容ではない。それでも刺さる人には刺さる内容であり、出版社の読む人によっては採用にしてくれるだろう。

「まだ足りない」

 アメリアは、もっと描きたいという気持ちに溢れていた。時間が足りない、朝食の時間だって惜しいし、シャワーを浴びるのだって放って物語を書きたい。

「やっと、やりたいことができてる」

 微笑みを浮かべながら、アメリアはそう言った。彼女はようやく、人生の楽しみを見つけたのだ。



 それからというもの、彼女は食事の時以外は部屋に篭るようになった。リリーはそんなアメリアの様子を見て心配をしていた。
 公爵夫人でもあるアメリアが、書き物に夢中になっていても良いのだろうか。いくらウィリアムがアメリアに興味がないかと言って、家のことをやらなくても良いのか。
 ウィリアムがアメリアに興味を持っていないのは周知の事実だった。ウォーカー家に使えている侍女や執事たち、誰に聞いても一人残らず「旦那様は奥様に興味がない」と答えるだろう。

「リリー。旦那様に紙とインク、ペンの注文をしてほしいと伝えて」
「……かしこまりました」

 一晩でたくさんの文章を書いたにも関わらず、アメリアの書く手が止まることはなかった。本棚を注文することさえ渋っていたアメリアは紙やインクに関しては渋らず、何度かウィリアムに注文をしてほしいと頼んでいた。
 気づけば書き上げた枚数はとんでもない量になっており、リリーも管理をするのが大変になっていた。捨てるわけにもいかず、ただただ紙の束として部屋の端に積まれている。いつかこの紙のタワーも崩壊するだろう。
 リリーは、少し気が重いと思いながらウィリアムの執務室のドアを数回ノックした。中から「入ってくれ」という声が聞こえ、リリーは申し訳なさそうにしながら部屋の中へと入った。

「……どうした」
「失礼します。奥様が紙とインク、そしてペンを注文したいとのことで参りました」

 ウィリアムは「またか」と思いながらため息を吐いた。注文をすることに反対するわけではない、ただこんなにも短期間に何度も「注文をして欲しい」と言われれば面倒にも思えてくる。
 自分の妻は、一体何をしているというのだ。

「注文票を渡すから好きに買っていいと伝えてほしい。費用はいくらでも構わないが、領収書は執事に渡すようにだけしてくれ」
「かしこまりました」

 リリーは一度礼をしてから、ウィリアムの執務室を去った。
 その様子を見たあと、ウィリアムは椅子に深く座り直して考えた。アメリアがこんなにも急に頼みごとをし始めるのが不思議だった。来て数ヶ月が経過しても、彼女との会話はほとんどなかった。何かが欲しいと言うわけでもなく、食事を共にするだけの夫婦関係。
 それにも関わらず、最近の彼女は何か生き生きとしているように見える。食事を共にするたび、前は暗そうな顔をしていたというのに今では目に輝きを持ち、なんだか楽しそうにすら見えた。

「まあ、それくらいか」

 言ってしまえば、それくらいだ。
 宝石が欲しいと強請るわけでもない、新しいドレスや買い物に行きたいと言うわけでもない。聞けば彼女は部屋にこもって何かをしているらしい。紙とペンを欲しがっていることから、勉強や何かをしているのだろう。
 別に彼女が勉強しようが、何をしようがそこまで関係ない。公爵家に危険が伴わないのであればそれでいい。
 そこまで考え、ウィリアムは仕事へと戻った。
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