君は君のままでいい

ありがとう。を君に2


 悠さんと会えないことがつらくてたまらない。


 学校では誰からも見向きもされず、話も聞いてもらえず、優しい言葉をかけてくれる人などいない。そう思うと学校へ向かう足が根を張ったかのように重い。


 唯一、月曜日と水曜日、学校帰りの桜舞公園で悠さんと会うことだけが楽しみだったのに。その楽しみすらなくなってしまった。


 しかし時間は待ってはくれない。学園祭の日があと少しでやってきてしまう。その事実だけでお腹が痛くなるわ、泣きたくなるわ、ストレスが半端じゃない。


 今まで散々クラスのみんなで話し合いをしても意見が出なかったので、私は苦肉の策でクラスアンケートを取ることにした。


 話し合いをしたくない一心で思いついた付け焼き刃にしては我ながら名案だ。


 アンケートの内容は『クラスの出し物を焼きそばにしようと思っています。反対意見はありますか?もし、なにか意見があれば教えてください。その際には代案を書いてくれると助かります』というものだ。


 そして、アンケートを集計すると思った通り反対意見はひとつもなかった。そのかわり賛成の意見もない。みんな学園祭の出し物など、どうでもいいのだ。


 唯一、月だけが『誰もやりたくない学園祭なんてやらなくていい。朝陽、お前もほっとけばいい』と書いて出して来たくらいだった。


 クラス委員長を任されている私がほっとけるわけがないのに、なにを勝手でバカなこと言っているんだ。月の意見などほっとこう。


 なぜ私が焼きそばにしたかというと、とりあえず私が下準備だけして、当日の役割を決めとくだけで、みんなは当日になったらそれ通りに動くだけでいいし、クラスみんなでやっているふうになると思ったからだ。


 なので私は学校が終わったあと目前に迫る学園祭のために、学校近くのスーパーで材料の買い出しに来た。


 先生に学園祭でクラスの出し物は焼きそばになったと伝えたら、百食ぶんの用意をしろと言われたからだ。


 キャベツが十玉、麺が百袋、豚肉適量、サラダ油、青のり、紅生姜、焼きそばソース。他にもプラスチック容器、ゴム、割り箸など。


 全部合わせるとかなりの量だ。私はレジで会計を済ませ、スーパーでもらった大きなダンボールに買ったものを全部詰め込む。


 かなり重そうだけど、これを学校の家庭科室の冷蔵庫まで持っていかなくてはならない。


 とりあえず十メートルほど頑張って持ち上げて進んでみたが、とてもじゃないけど女子高生がひとりで持っていけるような重さではない。


 重くてダンボールを持っている指が痛い。それでも私はやるしかないのだ。なんとかダンボールを持ち上げたとき。


 重さに耐えきれずダンボールの底が破れて、中身が全部地面に落ちた。


 指先に鋭い痛みが走って、ふと見ると、ダンボールで擦れてしまったらしく指先から血が出ている。


 無惨にも地面に散らかった焼きそばの材料。しかしかと痛む指先。助けてくれる人など誰もいない。ひとりぼっちで運ばなければならないという虚しさに、どうしようもない気持ちになる。


 「あ、新しいダンボールもらってこなきゃ」


 落ちて散らかった焼きそばの材料を、歩道の真ん中に置きっぱなしにはできないので、とりあえず隅に集める。


 私って、なんなだろう。もうなにも考えたくないのにそう思わずにいられない。考えてもいいことなどない。


 私はひとりぼっち。誰も助けてくれない。私が憧れる完璧な人になりたい理由、きっとそれは、今は晴さんのようになりたいからではない。


 私のことなど誰も助けてくれないから、なんでもひとりで完璧にやれなければならないだけだ。


 それに晴さんや理依奈さんのように、優しくて、可愛くて、仕事ができれば、みんなだってクラス委員長として信頼もしてくれる。どこかでそう思っているからだ。


 でも、なんで現実はこんなにうまくいかないのだろう。悲しいなぁ…。つらいなぁ…。


 あぁ、もう全部全部、本当にいやだ。


 落ちたキャベツを拾い集める手に、ぽたぽたと涙が落ちて、私は自分が泣いていることに気づいた。とっくにもう私の心は壊れてしまっているのだ。


 そのとき、頭の上から声が降ってきた。


 「朝陽、お前ひとりでなにやってんだよ」


 もう声の主はわかっている。なんでこいつは、いつもこういうタイミングであらわれるのだろうか。こんな無様な姿を見ないでほしいのに。


 仕事を押し付けられて張りぼての偽善者委員長をやっている、そんな泣き虫で弱い私を見ると月は楽しいのだろうか。私のこときらいって言ってたしな…。


 力なく目線を上げると、やっぱりいつもの月が立っている。片手にはスケボーを持っていた。


 私がこうやってひとりで学園祭の準備をしている間、こいつはのうのうとスケボーを楽しんでいるんだ。そりゃそうだ。やりたくないことはやらなくていいと思っている自分勝手。クラスアンケートにもほっとけばいいと書いていた。


 月はいつも自由で、自分の好きで信じたことしかやらないし、言わないし。きっと月から見た私は…。


 今まで押さえ込んでいたなにが崩壊した、すると黒い感情とともに私の口から言葉があふれ出る。


 「哀れでしょ。ウケるよね。学園祭の準備も、信頼がない私には誰も協力してくれない。前、月は私に言ったよね。張りぼての委員長だって。偽善者だって。全部月が言った通りだよ。おまけに泣き虫で弱い。そんな私がきらいなんでしょ。バカみたいだよね。笑ってバカにしていいよ。もう、私は、こんな私でいたくない」


 私が涙で顔をぐちゃぐちゃさせながら、そう吐き捨てると、月は静かにまっすぐ私を見て口を開いた。


 「笑わない。俺は、もうお前のことを、張りぼての委員長だとも、偽善者だとも、思ってない。泣き虫だけど、だから弱いって思ってない。朝陽、お前は…本当は…」


 私は嗚咽が酷くて、月がなにを言ったのか最後のほうは聞こえなかった。


 「お前、指、怪我してんじゃねえか。ちょっと見せろ」


 月は私の指から血が出ていることに気づくと、すぐに自分の学生鞄から応急セットを出して、私の指を消毒したあと絆創膏を貼ってくれた。


 「月って絆創膏とか持ち歩くんだね。なんか意外」


 少し休んで落ち着いた私は、月に貼ってもらった絆創膏を指で撫でながら呟いた。


 さっきまで怪我した指がしかしかと痛んでいたのに、絆創膏に守られたことで今度はぽかぽかとしている。不思議だ。


 「スケーターはよく怪我するんだよ。だから、いつでも応急セット持ってんの。他には工具も持ち歩いてるぞ」


 月が小さく笑う。その表情が、職場体験の保育園で見た優しい彼を私に思い出させる。


 「もっと学校に必要なもの入れときなよ」と私がくすりと笑ったら、「うるせえ」と月がめんどくさそうに言った。


 そのあと落ちたものをふたりで拾って集めた。結局、ひとつのダンボールでは運べないので、月がスーパーから何個かダンボールをもらって来てくれて、荷物を運ぶための台車まで借りて来てくれた。


 そして、ふたりでなんとか家庭科室の冷蔵庫まで焼きそばの材料を運ぶと、月が「あと、なんかやることあんの?」と私に訊いた。


 「あとはガスを借りる手配と、当日の看板作り、キャベツを切って下準備するくらいかな」と答えると、「なんで、そんなにもあんのにお前はひとりでやってんだよ」と月が呆れた顔をする。


 誰も私なんかを手伝ってくれないとは言いづらくてうつむくと、「俺が手伝うから、顔を上げろ」と月が言った。


 そして月はスマホで誰かに電話をかけ出す。


 「達也っ。お前学園祭までに焼きそばのガスを借りる手配しろ」


 「えー。なんで俺がっ」と、月のスマホから達也君の声が聞こえてくる。


 「うるせえ。お前なんもやってねえだろ。学園祭の日も俺にスケボー教えてほしいんだろ?」


 「そうだけど。じゃあ次はオーリー教えてくれよ」


 「黙れ。初心者が最初にやる技はショービットからだ」


 「えー。俺も月みたいにオーリーして飛びたいよ」


 「すぐに飛べるわけねえだろ。とにかく学園祭の日までにガス借りとけよ」


 「しょうがないなぁ。わかったよ」と、渋々答える電話ごしの達也君だった。


 月はスマホを切って私を見て言った。


 「よし。これでガスはなんとかなった。さっさと残りもやるぞ」


 「なんで月はそんなに手伝ってくれるの?」


 ふと気になって、私は訊いてみた。


 「んなもん、当日サボるためだよ。俺、学園祭みたいなお祭り騒ぎは苦手だし、スケボーやるから行かねえ。だから今手伝うのは当然だろ。くだらねえこと言ってないでさっさと終わらすぞ」


 そのあと、私たちは家庭科室でキャベツを包丁でざく切りにした。月は包丁なんて使ったことないと言いながらも、私が包丁の持ち方や、ざく切りのやり方を教えたら文句言わずに手伝ってくれた。


 キャベツの下準備が終わってからは、教室に移動して屋台の看板作りをした。


 意外だったのは、月は驚くほど字が綺麗だったのだ。そして、あっという間に看板メニューを綺麗な字で書いてくれた。


 月が手伝ってくれたおかげで大変だったけど、なんとか当日までに学園祭の準備を間に合わせることができたのだった。
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