君は君のままでいい
まもりたい。君を

まもりたい。君を1

 十一月。席替えがあって、私は月のとなりの席になった。


 月とは、以前はまったく会話をしなかったが、今では世間話などのたわいない会話をする仲になっている。


 しかし、学園祭の夕方の出来事を意識してしまうと、恥ずかしくなって会話もろくにできなくなってしまうので、もうあの日のことは記憶の奥底に封印することにした。


 今日の一限目は進路相談だ。


 うちの高校は進学に力を入れていて、進路相談の授業では先生が配ったアンケートに記入をして、そのあと個別で先生と生徒が懇談することになっている。


 はぁ、来年はもう受験生か。


 今よりも忙しくなってしまうと考えるだけでうんざりする。


 でも、最近は前ほど学校がいやじゃなくなった。


 なんとなくだけど、クラスにも居やすくなった気がする。


 「それじゃ、進路希望のアンケート用紙を配るから記入するように」


 そう言って先生が、前から進路希望のアンケート用紙を配っていく。


 正直、私は職場体験のときに保育士が向いていないことを痛感している。


 私なんか頭でっかちで臨機応変ができなくて、考えていたことなんて保育現場ではまったく役に立たなかった。


 学園祭のときも私は月に守られただけ。たしかに、みんなも謝ってくれたし、星崎さんは感謝を言ってくれた。それでも私はとてもじゃないけど、みんなをまとめられるような人間じゃないと思った。


 このクラスでさえまとめれないのだ。保育園の子どもたちなんて、もっとまとめることができないに決まっている。


 あぁ、理想と現実は、ほど遠いな…。


 『あたたかい心で誰かの力になれる』


 そんな人になりたい。可愛くて綺麗で仕事がスマートにできて、そんな完璧な大人の女性になりたい。


 理依奈さんや、晴さんみたいになりたい。


 しかし今までの自分を思いかえすと、私は憧れた人たちのようには、とてもなれそうもないともう諦めかけている。


 でも進路希望のアンケート用紙を白紙で出すわけにはいかないし、他にやりたいこともないので、とりあえず保育士と書くことにした。


 ふと、月が進路をどうする気でいるのか気になった。


 「月は、進路希望なんて書いた?」


 せっかくとなりの席になったし、思いきって訊いてみる。


 「うーん。白紙で出すつもり」


 「えー、せめてなんか書けばいいのに」


 「別にやりてえこととかねえし」


 「じゃあ、保育士って書けばいいじゃん」


 「なんでだよ!俺が保育士って似合わねえだろ」


 そう言って、月は目を細めて笑った。


 「なんでよ。職場体験のとき月のこと保育士向いてるなって思ったもん」


 月の目が見開いて、一瞬、間があいた。


 それから「お前には関係ねえだろ」と、月はそっぽを向いた。


 そのとき、教室の窓から見える学校の来客用の駐車場に一台のパトカーがとまる。


 すると、しばらくしてから担任の先生が教頭先生に呼ばれて教室を出ていく。


 先生はすぐに戻ってくると、月を連れてどこかにいってしまった。


 なぜ、先生に呼ばれて月はどこかにいってしまったのだろう。私は平然をよそおっているが心配で気が気じゃない。


 そのあとの授業は実習になり、休み時間になっても月は教室に帰ってこなかった。


 パトカーが来てから先生が月を連れていったという、噂を聞いたとなりのクラスの男子たちが野次馬にやって来た。


 そして月の机の上に置きっぱなしになっている進路希望アンケートを盗み見た。


 「おい!見てみろよ。蘇轍のやつ、進路希望に保育士って書いてあるぜ」と、ひとりの男子がふざけて仲間の男子に見せる。


 「保育士とか似合わねー」


 「てか、蘇轍が保育士になったら子どもに暴力ふるいそうじゃね?」


 「あはは。間違いねー」


 月はもともと学校での態度が悪く、みんなから不良だと思われている。私だってつい最近までそう思っていた。


 この前は学園祭で暴れてしまって、その噂は学校中に広まっているので、月をよく知らない人からはそういうふうに思われてしまうのだとショックだった。


 それに近頃、保育士が子どもを虐待したというニュースが話題になっていて、その影響もあるのだろう。


 「そういえば、今日の朝の駅でさ。蘇轍が絶対に自分のじゃない花柄の鞄を持って走ってるの見た」


 「まじ!?ひったくりってこと?窃盗犯なのあいつ?」


 「俺もわかんねえけどパトカー来てるし、蘇轍が連れてかれたらしいし、ちょっと怪しいよな」


 「じゃあ、子ども虐待する窃盗保育士なんて最低じゃん」


 私の中でなにかの糸がぶちっと音を立てて切れた。そして、頭にかっと血がのぼる。


 「そんなこと、月がするわけないじゃん」


 私は自分の席から立ち上がって、男子たちを睨みつけた。


 「は?なに言ってんのお前?」と男子のひとりが、なんだこいつ調子にのるなよという見下した目で私を睨む。


 ふざけるな。お前たちが月のなにを知っているんだ。


 私はちゃんと知っている。月は絶対に子どもに暴力なんてしない。


 職場体験のとき月は子どもたちの人気者で、手繋ぎで困った子がいたら気にかけてあげたり、公園で子どもがなくしたリボンを必死になって探していた。月は子ども想いなのだ。


 学園祭のときだって、私のせいで月は暴れてしまったけど、あれはみんなや先生を敵に回してだって自分の思ったことをちゃんと意見する正義の心を彼が持っているからだ。その結果、私を守ってくれた。


 そんな月が誰かの鞄を盗むなんてことをするはずがない。


 本当は、月は誰よりも優しくてまっすぐな心の持ち主なのだ。これ以上、月のことを馬鹿にするな!


 しかし、そのことを私はうまく言葉にできない。それが悔しくてたまらない。


 「月は絶対にそんなことしない…」


 振り絞るように言った私の目からは大粒の涙があふれる。それでも、私は泣きながらでも男子たちを睨みつけた。


 「げ、こいついきなり泣いてるし」


 「こいつ蘇轍の彼女なん?」


 「知らねえ、めんどくさ」と言った男子たちのうしろから、聞き覚えのある女子の声がはっきりと聞こえた。


 「私も、月君はそんな酷いことする人じゃないと思うなぁ〜」


 星崎さんだ。うしろで他の女子たちもうなずいている。


 「お前らが月の悪口言って委員長を泣かせたって。月にちくっちゃおっかなぁ」と、達也君も加勢する。


 すると、ばつが悪くなったとなりのクラスの男子たちは、苦い顔をしてそそくさと自分たちの教室に帰っていった。


 「朝陽ちゃん、ひとりで男子たちに物申すなんて勇気あるじゃん。見直したよ」


 にこっと星崎さんが笑う。


 「え、委員長、まさか月のこと好きなん?つんけんしてっけど、月はいがいと委員長みたいな子が好きだと思うんだよなぁ」と、達也君がにやにやしている。


 涙が止まらなくて私がなにも言えずにいると、がらっと教室のドアが開いた。


 見ると月が立っていた。
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