君は君のままでいい

あいたい。君に2

 学校を休みだしてから二週間。


 部屋の中でじっと殻に閉じこもっていてもなにも変わらない。そんなことはわかっている。


 それでも、どうしたらいいかなんてわからないし。とにかく私は私を許せない。


 こんこんとノックの音がして、「朝陽、お客さんが来たよ」とお母さんの声が部屋のドアの前から聞こえた。


 なにも言わず見守ってくれているお母さんに、心配かけてごめんと胸がちくちく痛む。それでも私にはどうすることもできない。


 「朝陽、来たぞ」とドアの前から月の声がした。


 「中に入ってもいいか?」


 「うん」


 返事をした私の胸がまたちくりと痛む。今、月が来てくれて少しでも嬉しいとか、顔を見たいと思った自分が許せない。きらいでたまらない。私は悠さんを傷つけてそんなことを思う資格なんてないのに。最低だ。


 月は静かにドアを開けて部屋に入ると、ベッドに座る私の目の前にゆっくりと腰を下ろす。


 「心配かけてごめん」


 「こんなときまで他人の心配すんじゃねえよ。お前のそういうとこ」


 「弱くて、きらいなんだよね」


 「ちがう。そんな話をしに来たんじゃない」


 「なに?学校に来いってこと?それなら、ちょっと、ごめん」


 「クラスのやつらも心配してるし、それもあるけど、いちばん話したいことはそれじゃねえ」


 数分間、ふたりともなにも喋らずに沈黙がつづいた。


 「そういえば、ごめんね」


 ふと、私は思い出して月に謝る。


 「なにが?」


 「進路希望のとき私が保育士って書けばいいじゃん、って言ったから書いたんだよね。それで月が揶揄われちゃうことになってごめん」


 「朝陽。そのことで…、お前に話したいことがある」


 そう言った月の声は、普段の彼から想像もできないほど弱々しかった。


 「俺、もともとそう書いてたんだ、進路希望に。本当は保育園の先生になりたいんだ」と、自信なさそうな表情をして月が呟く。


 「月なら絶対強くて格好良くて優しい、素敵な先生になれるよ」


 私はすっと言葉が出た。お世辞ではない。心からそう思ったのだ。


 すると月は、「これから俺のすげえ格好悪い話をする。お前に聞いてほしんだ」となにか覚悟を決めたように言った。


 月は、ごくりと唾を飲み込んでから口を開く。


 「俺、本当は強くなんかないんだ。本当の俺は弱くてすげえ格好悪い人間なんだ。弱いと自分が困る、いじめられる、言いなりにされる、なにも実現できない、そんなことばっか思ってる本当は小心者なんだ。だから虚勢を張ってちょっとでも強く見せようとしてんだ」


 普段の、月の態度が強がりだったなんて信じられない。私がぽかんと口を開けていると、月は自虐的な笑みを浮かべて話をつづける。


 「もし保育士になりたいって言ったら、いつも俺はこんなんなのにクラスのやつらにどう思われるんだろう、舐められるのかなってくだらねえこと考えてる。達也や星崎に揶揄われたときも別にやりたくねえって嘘ついちまった。情けねえよ、俺は自分の夢にも胸が張れない、だせえし弱いだろ」


 「なんでそんなに強いとか、弱いとか気になっちゃうの?」


 私は今までそんなこと気にしたことがないし想像もつかない。


 「うちは親が離婚してんだけど、原因が親父の暴力。それがトラウマになっててさ。弱いとなにも守れない、言いなりになるしかない、暴力をふるう親父から母ちゃんを守りたかった、でもそれができなくて悔しかった。そんなことばっか今でも考えちまう。んで、クラス委員長をやってる朝陽が、みんなの言いなりになってるふうに見えて、それが妙に親父になにも言えなかった自分と重なってイライラしちまったんだ。あんとき、いやなこと言ってごめん」


 そうだったんだ。私は、小さく震える声で話をする月にかける言葉が見つからなかった。


 「それが、俺が変に強くないといけないって気にしちまってる理由。でも、最近その価値観に風穴を開けられたんだ。そしたらさ、気づいちゃったんだよ。俺が必要だと思ってた強さってのが、結局、だいきらいな親父の暴力と同じだって。そっから自分にも弱っちいところがあることに気づいてさ。それが一個や二個じゃなくていっぱいあんの。情けねえしいやになっちまうよ。悠さんにも力なき正義は無力だけど、優しさなき力は暴力だから覚えとけって言われたことがあってよ。へこんだよ」


 月は悠さんから良い影響を受けている。だから最近の彼は、以前とちがって見えたのだなと思った。


 「そうやって弱くても悩んでる月のほうが好き」


 「…。お前のそういうところに俺は…」


 なにか言いかけたが、首を振ってから「ありがとう」と月は小さく呟く。


 改まって月が「朝陽…」と、私の名前を読んだ。


 その声に先ほどの弱々しさはなく、彼から静かな覚悟のようなものが伝わってくる。


 「俺、悠さんに謝らなきゃならないことがあるんだ」


 その言葉を聞いて私は胸が苦しくなる。なぜなら、それは私が思っていたことだからだ。


 「俺、悠さんが保育園の先生って知ったとき、保育士って仕事をバカにしたことを言っちまったんだ。保育園の先生なんてなんでやってるんですか?テレビのニュースとかで見たけど、人の言うことばっか聞いて言いなりになって、給料も安いらしいし、それなのに責任ばかり重くて、そんなの最低じゃないですか、やる価値なんてないですよって。でも今思い返したら俺が言ったことって本当にクズなことだし、なにもわかってなくて格好悪いって思ってる。悠さんはそんな俺に、お前にも大切な人の全部を守りたいって思ったらわかるときがくるよ、って笑って言ってくれたんだ」


 あぁ、悠さんならそう言いそうだな。あたたかい悠さんが思い浮かぶ。


 「俺は悠さんにあのときのことを謝りに行く。それで俺は保育士になりたいって悠さんにはちゃんと伝えたい。このまま会えずに終わりだなんていやだ。朝陽、お前だってそうだろう。なに言っていいかわかんねえけど、悠さんに伝えなきゃいけないことがあるだろ、一緒に悠さんちに行こう」


 ひとりでは解決策が見出せず、どうすることもできずにいた私は、月の『一緒に』という言葉に心を動かされた。


 ひとりじゃどうにもできないことだって、月と一緒なら、どうにかなるかもしれない。


 なんだかそう思えるのだ。『一緒に』って勇気をもらえる、あたたかくて不思議な言葉だ。


 決して罪悪感がなくなったわけじゃない。悠さんに会うのが怖くないわけじゃない。


 それでも悠さんに伝えたいことがある。心を傷つけてしまったのなら謝りたい。


 「月。一緒に、悠さんの家に行こう」


 私は覚悟を決めた。
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